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 コラム 

2014/4/21  「ありふれたもの」
 

  今年の1月に高校の同級生から連絡がありました。卒業してから、一度も会っていない同級生からでした。高校の卒業生によって毎年開催されている総会の幹事を一緒にやってくれないかと言われたのです。なんでも今年は私と同期の人たちが当番幹事だそうで(うちの高校は45歳を迎える年に幹事を担当することになっているようなのです)まだ人数が足りなくてクラスメイトに声をかけているとのことでした。

 そんな総会が毎年行なわれていることも、高校卒業後、実家が引越ししたり私自身も一人暮らしを始めたり、高校時代の友人とほとんど交流していなかったので電話が来るまでまったく知りませんでした。

 高校時代の自分が嫌いで当時の記憶をほとんど消していた自分と向き合ういい機会なのかもしれないし、誰かがやらなければならないのなら・・・と、ふたつ返事をしてしまいました。

 実際、想像していたより大変です。総会の記念誌への広告協賛の依頼作業が特に大変で・・・。知らない企業に連絡して依頼するとき、ビジネストークから何年も離れていたもので、口が思うように動かなくて(笑)緊張して、最初は夢にまで見てました・・・。ま、それも回数を重ねれば慣れてくるもので、最近は前ほど緊張せずに頑張っております。それに、私の担当している会社は比較的協力的なところが多く、あまり嫌な思いをせずに済んでますし、反対に「大変だね~」ってねぎらってもらったりして、小樽の企業も捨てたもんじゃない!って思っているところです。

 6月28日の総会まで、なかなか気が休まりませんが、同期の仲間たちもいい人ばかりで、それぞれ家庭や仕事がある中で頑張ってますので、なんとか力を合わせていこうと思っています。日ごろ、わたしは一人だけで頑張っていますので、何かを仲間とともに運営するなんて、久しぶりで・・・。話したことも顔すら記憶にない人がほとんどで最初はちょっと構えていたのですが、当番幹事は一生に一度だから、この経験を楽しもう!そう思っています。

 高校時代の自分が今の私をみたらきっと信じられないと思います。こうやって積極的に自分のためじゃないことに奔走できるなんて想像できないだろうから。自分の得にならないことを買って出るなんて、昔のわたしはきっと「偽善だ」と思うでしょうね・・・。以前の私なら「忙しい」という言葉で逃げていたと思うのです。

 思い出したことがありました。絵が得意だということで高校の文化祭のポースター作りを任せられたことがあったのです。出来映えに不満を言っている人がいることを後で聞いて、すごく傷ついたのです。その時に、頼まれて頑張ったのにそんなことを言われるなんて「だったらやらないほうがいい、やっただけ損する」・・・と思ったのです。最初から損得勘定で動く人なんて少ないと思います。裏切られたり苦い経験を何度も体験するうちに、自分を守るためにそう思うようになってしまうのだと思います。

 思い返せば、私は任されたのだからと自分一人でやろうとして、誰の意見も聞きませんでしたし、面白くないと思う人が出ても不思議じゃないって今となってはわかります。一人で頑張ることが人から評価されるものだと思っていたのです。協力を仰ぐことは自分の無能力、非力を認めることだと思っていたのです。そして、その心の奥には誰かに手柄を取られることを怖れていた感情もあったのだと・・・今はわかります。だから、そうやって陰口を言ってた人と私は同類だったのだと、今は理解しています。

 最近はすぐに何か目に見えて得することがないときでも、自分が与えられたことを一生懸命やるということが、結果何かのプラスになるということはよくわかってきました。「お金」「時間」「体力」など目に見えるものは何か減るかもしれない。でも、目に見ない何かがプラスになるのだとわかっています。それは「経験」だけかもしれないけれど。たとえそれが失敗する経験であったとしても、自分を成長させてくれるものだと思えたら、結果プラスに働くことになるのです。

 以前読んだ本「人生向上トレーニング」にこんなことが書かれていました。現代は価値観がねじれている、と。本からそのまま引用しますね。

 「私たちは、たとえばキャビアやフォアグラがなくても生きていかれますが、水や空気がなければすぐに死んでしまいます。それにもかかわらず、人生には不可欠ではないキャビアやフォアグラのほうが価値あるものと見なされ、人々を夢中にさせているのです。

 同じ価値観のねじれは、健康法についても見てとることができます。たとえば、心身を健やかにするメソッドとして何千年も受け継がれてきたヨガは、呼吸の科学とも呼ばれ、最もありふれている空気との関係性を組み替えることによって、大きな効果を上げることがすでに実証されています。それにもかかわらず、多くの人は自分で実践する手間を惜しみ、特別なもの、たとえば薬や手に入りにくい植物などを使って、健康になろうとしているのです。」

 私もヨガを始めるまでは色々なダイエットグッズや商品に頼って、楽して成功しようと思っていましたし、特別なものが必要なのだと勘違いしていました。特別じゃなくて、すぐに身の回りにあって、すぐにでも出来て続けることが困難じゃないもの・・・それが本当は一番大切で必要なものです。

 人とのコミュニケーションは日常ありふれたものですよね。例えば、有名人と仲良しとか、企業のトップの人と知り合いだとか、そのほうが価値があることに思えますが、そんなことより気がゆるせる仲間がいるか、信頼し合える家族や信頼できる友人との係わりのほうが重要だと思いませんか?

 以前のわたしはすぐに「親友」は「親友」になるものだと思っていました。一緒に色んな時間をすごし、重ねた時間があって、最初はだたの知人が気づけば親友になっていた・・・ということもあるのに、最初から親友になるべき人は親友として存在すると思っていたのです。

 だから、最初からいい顔をして近づいてくる人が親友になりうる人なのかもしれないと期待して騙されたこともありました。そういう人は大抵ねずみ講だったり、宗教の勧誘だったりしたんですけど・・・(苦笑)

 「今あるもの」を大切にすることが幸せにつながることなのに、私たちの多くは「特別」を重視してしまいます。みんなより少しでも地位や名誉が高いということやより多くの物質を手に入れていることが、幸せなことだと思ってしまいがちです。かつての私もそうでした。もっと勉強しておけば良かった、美しく産まれたかった、お金持ちの家に生まれていれば良かった・・・など。もう変えようのないことを悔やんでいるだけで、現状を変えようとせず、魔法使いが現われて周りを変えてくれることを望んだり、人を羨んでばかりでした。自分には親友もいなければ、お金持ちでもないし、頭脳明晰でもない、「ない」ことばかりに目を向けていました。

 でも、大切なのは・・・「ある」ものなのだと、今はわかるのです。地位や名誉などはいつなくなってしまうかわからない。家族や仲間にも別れはあるし、関係性は変わっていくものもあるけれど、地位や名誉があるから出来たものではないものがある。地位や名誉があるから出来た関係性は、地位や名誉がなくなれば、消滅してしまう可能性が高いものです。

 「ありふれたもの」が自分を幸せにしてくれるのです。特別なものを手に入れなくても、今すぐに幸せを感じられるのです。どんなお金持ちや美貌の持ち主でも不安や悩みはあるし、人間なんて最後は骨になって朽ちてしまうもの。特別視しているのは、自分の想像の中のことであって、実際顔を突き合わせてみれば、大企業の社長さんもだたのおじさんだったりするし、芸能人だって私たちと別の生き物ではないのだから。

 想像力は使い方次第で良いものにも悪いものにもなります。良い方向に想像力を使っていると、ありふれた日常に沢山の幸せの種があるということがわかってくるのです。空気があって、水があって、食べ物があって、家があって、仕事があって、健康で、家族がいて、友人がいる。これだけでわたしは幸せだと心から思えるようになりました。合掌