Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2014/6/13  「ありのままで」
 

 バタバタと毎日が過ぎ去って、今年の半分がもう終わってしまいました・・・。5月はGW休みのしわ寄せで特に忙しかったのですが、そんな中「アナと雪の女王」を私も観にいってしまいました~!映画はBSチャンネルで充分見られるし、滅多に映画館にはいかない私が、話題になった松たか子の歌をyoutubeで見て、それだけで泣けてきちゃって(笑)これは観にいかなくちゃって思ったのです。あまり期待もしてなかったのが良かったのか、面白かったです。

 「ありのままで」この言葉が独り歩きしつつありますが、なぜ多くの人がこの言葉に魅力を感じるのでしょう?きっとみんな情報過多の世の中でどう生きていくことがいいのか暗中模索しているからでしょう。周りの生活のほうが良く見えて、自分はもっと頑張ることができるような気がしているのに、何をすればいいかわからない。時間だけが過ぎて焦ってしまう。頑張っても、結果にはつながらなかったり、頑張っていないように見える人が成功していることに嫉妬したり。

 私もヨガを始めるまではそう思って悶々としてましたから、「ありのままでいいんだよ」って言われたら今の自分を認めてもらえたと思って嬉しくなります。「頑張ってね」って言われるより「頑張ってるね」って言われたら、もっと頑張ろう、頑張りたいって思うものです。

 でも、人から認めてもらうのを待っているのでは、いつまでたっても不安から解放されることはありません。だって、人それぞれ意見は違うし、全ての人が自分を認めてくれる訳はないのだから。もし、人から認めてもらおう、そうしなければ自分は価値がないのだと思っていたとしたら、独裁者になってしまうでしょう。

 そうではなく、まずは自分が自分を受け入れる。このままの自分に何が出来るのか考える。そして出来ることをやり、出来ないことは工夫しながら失敗しながら続けていく。そうすると、出来ないことも通過点に過ぎないと思えるようになり、出来る人を認められるようになり、人を許せるようになると思うのです。

 ヨガの教えではずっと昔から「知足」という教えがあり、何度もコラムではとりあげていますが、それは話題の「ありのままで」と同じです。人が期待する自分になろうと無理をするのではなく、ありのままの自分を受け入れ、必要以上を求めず、今のままで満足する。

 今も昔も真理は変わらないということです。

 この「足ることを知る」を知らないと「もっと、もっと・・・・」と多くを求めすぎて、すぐに結果を求め、出来るだけ楽をして近道をしようとし、さらには近道をすること自体が目的に摩り替わって、早々に答えをだしてしまいがちです。

 ありのままを受け入れるということは諦めることでもないし、努力を怠っていいということではなく、どんな欲を持って自分が今何をしようとしているのかを認めるということ。自分さえ良ければいいという自己満足の上に成り立っているかどうか客観的に判断し、間違っていれば軌道修正できるということ。

 生きていれば、こうなりたいという欲は出るし、いつでも悪魔のささやきが聞こえてくるでしょう。損得勘定で考えてしまうこともあるでしょう。だから、そういう時にきちんと自分を客観視できるかどうかが大切なことであって、そういった感情を消すことではないのです。

 ある程度の欲がなければ人は成長したいと思わないでしょうし、自分が損するか得するかという選択をしなければならないときは、誰だって得するほうを選びたいはずです。人の眼を気にして損するほうをわざと選ぶときもありますが、内心はそのことで得することがあるから選んでいるはずなのです。

 そういう感情を切り離して消そうとすることではなく、ああ、今自分は揺れ動いたな・・・得しようと思ったなと気づけるかどうかなのです。そういう自分を客観視する力が少ないと、自分は正しい人間で間違うことはない、だから世の中が悪い、他の人が悪いという間違った認識により、自分が成長するチャンスを逃してしまうのです。

 ありのままで(知足)とは、何も欲しがるなとか成長するなとかそんなことではなく、自分をしっかり認識しろということなのだと私は思います。

 ヨガをしていると、自分の身体と向き合うしかありません。足の細く長い人には叶わないとか、関節が柔らかい人には叶わないとか、前屈が得意だけど後屈は苦手だとか、猫背だとか、肩が硬いとか・・・自分のことを認めない限り、次のステージには進めないのです。諦めるのではなく苦手なことを認めて、そしてできることをコツコツ続ける。自分が変わる可能性を信じて、続ける。焦らず、急がず、結果を求めず・・・

 それが自然と出来るようになれば、ヨガから離れることはないと思います。どこにいたってヨガマットが置けるスペースがあればどこでも出来るのだから。そして、ヨガマットの上だけがヨガじゃないと気づくようにもなります。人生自体が修行、鍛錬の場なのだと気づくようになります。

 ありのままの自分と向き合う時間。自分がどんな身体で、今どんな状態なのか知ることが出来る時間。それは柔軟になる為でも、やせるためでもない。結果と目的は違う。ヨガのポーズは自分を受け入れ、成長させるための手段であって、より良いポーズを取る事が目的ではないのです。

 ありのままの自分を受け入れるというのは手段であって、目的ではない。わがままに振舞って良いということではない、きっと努力している人が「ありのままで」と言えるのだと思うのです。

 最後に先月トイレに飾っていた格言を。

 「努力した者が成功するとは限らない
     しかし、成功する者は皆努力している
」 ベートーベン

 この言葉をヨガで置き換えるなら・・・

 「努力した者がポーズをとれるとは限らない
   しかし、ポーズがとれる者は皆努力している」・・・かな(笑)      合掌