Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2016/10/12 「ヨガ13年生」
 
  またまたヨガ記念日を迎えることが出来ました。2004年の10月10日体育の日で祝日だったあの日。今はもうない書店で出会ったヨガの本から私のヨガ人生は始まりました。

 ヨガが私に教えてくれたこと、たくさんあります。どんな人でもただヨガをすることで気付きを得られるかというとそうではありません。どう向き合うかということに尽きると思います。例えば友だちと一緒にヨガをすることが楽しいからということでヨガを取り入れていたり、痩せたいからという理由だけでヨガを取り入れていたり、暇つぶしにヨガをしているという場合はなかなか難しいことだと思います。

 これはヨガに限らず何でも良いのですが、その物事に向き合い、自分の悪い癖(考え方も含めて)を受け入れて、それが障害となっているならばそれを改善できるように努力していくことで、ふと「ああ、今までこうなっていたのは、こういうことだったんだ」と分かることがあるのだと思います。

 それは書道であっても、茶道であってもいいし、どんな仕事であっても家事だっていいのです。この間、いつも拝見している「100分de名著」で『苦海浄土』が紹介されていました。水俣病について書かれたこの作品は読んだことがありませんし、もしかしたら・・・今後も読めないかもしれません。番組を見ているだけで泣けちゃって、目が腫れてしまうので涙もろい私は次の日が休みじゃないと、なかなか難しいかと・・・

 話を戻しまして、で、その中で最後に長い間水俣病と戦ってきた人が「水俣病は”のさり”だ」という言葉があったのです。この"のさり"とは"天からの授かりもの"のこと。例えば大漁だったときに「今日はのさったなぁ」と言ったりするらしいのですが、良いことだけではなく、悪いことも"のさり"ということなんだそう。災害で被害にあったとしても、それも"のさり"なのです。

 だから、水俣病も"のさり"だと言うのです。企業が垂れ流した有害な産業廃棄物によって汚された魚を食べたことにより、もたらされた水俣病。それさえも"のさり"だと思うようになる心境・・・。他の人ではなく自分が乗り越えられる問題だから自分に降りかかったのだと思えるようになるまで、きっと自分と病とトコトン向き合った結果の境地だと思うのです。

 誰だって自分は幸せになりたいし、病気になりたくない。死ぬときは苦しまずに人に迷惑をかけずに死にたいと思うはず。自分の責任ではない外的要因で病気になって、一生苦しまなければならない。そんな状況も"のさり"だと受け入れられる人がいることに深く感動したのです。そうしなければ苦しいということもあるかもしれません。そんなの嘘だと思う人もいるでしょう。企業を憎んで、人を憎んで自分の人生を憎んで生きていくことも出来るけれど、他の人ではなく自分だからこそ、この病が与えられたのだと思うことで後ろ向きではなく前を向いて生きていけるのだと思うのです。自分の人生を生きることが出来るのです。

 苦しいと思うとき、自分が自らその苦しみを捕まえているのだという仏陀の言葉があります。同じ試練でもそれを自分の課題だと取り組んで前向きに生きる人と一方で自分だけなんでこんなに苦しいのだ、他の人はみんな幸せそうなのに、あの時こうしていれば、あの時あの人がこうしなければ・・・などと後ろ向きに悔やんでしまう人がいる。

 私も時々自分の問題から目を反らしてしまうけれど、そんなときにはヨガを通じて得た知識が手助けしてくれる。悩んだとしても解決できない問題なら、その悩んでる時間で他の建設的なことに時間を使ったほうが良いと思うし、エイ!っと一歩踏み出してコケたっていいじゃない?と思えるようになった。失敗した自分を笑う人がいたっていい、それはその人の問題なのだから。それに笑う人ばかりじゃないし、一緒に悲しんだり、励ましてくれたり、応援してくれる人だっているのだから。

 ヨガと出会って、私は自分のレベルをアップできるアイテムを手に入れたのだと思う。これを常にもっていれば私は成長できるのだと確信しているのです。身体は老化するけれど、心は若いときよりも勇気があるし、自信もあるし、忍耐力もあると思う。改めてヨガと出会って良かった!と思ったヨガ記念日なのでした。 合掌