Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2016/2/11 「続・悩まずにはいられない人」
 
 2016年もよろしくお願いいたします。確認してみたら、去年も1月にコラムを更新してなかったんですね~。正月休みボケでエンジンかかるのに時間がかかってしまうのかも・・・

 さて昨年の最後のコラムで「悩まずにはいられない人」について書きましたが、1ヶ月以上かかってようやく本が手に入りまして、やっと読むことが出来ました!

 納得できるところがたくさんあり、整理するためにもここでまとめていきたいと思います。昨年のコラムと重複するところもあるでしょうが、興味があるかたはお付き合いくださいませ。

 本を読んで新たに気付いたことは、悩んでいる人、常に愚痴を言ったりしている人はその"言ってること自体が悩みなのではない"というところでした。そういう人は不平不満、愚痴を通して無意識に蓄積された怒りを間接的に吐き出しているということなのだそうです。

 でも、悩んでる人にとってはそれが救いなのです。怒りを放出する術だから。周りの人にとってはいい迷惑ですが、本人はまったく気付いていないですから、自分で気付けないうちは自分だけが理不尽な状況にあって同情され大切にされるべき特別な存在だとそう思っているんです。(そう思いたいというのが本当かも)

 子供って、そういうところがありますよね。自分だけ特別に大切にされないと癇癪を起こしたりします。でも、もし癇癪を起こしたときに無視されたり、罰を与えられたとしたら・・・。子供の時に親から正しく愛情を注がれて育った人は徐々に自分がどんな状況でも愛されるべき存在だと安心できます。自分の感情をコントロール出来るように心理的に成長できるようになるのです。見守ってくれる存在がいて、失敗しても嫌われないって思えるかどうか・・・これって本当に大切なことなんだと思うのです。

 反対に親の常識を押し付けられたり、いい子ちゃんでいなければ愛されない、ありのままの自分では愛されないという心理的に圧迫を受けたり強制的にいい子に育てられた子は失敗したら自分は愛されないという恐怖で常に緊張状態ですから心理的に成長することがなかなか出来ないのです。自分の感情を抑圧していますから、経験したとしても仮の姿の自分が体験したことなので、肉体的には成長しますが、本当の自分が精神的に成長できていないのだと思います。

 本には自分をコントロールできるということは現実と接する能力があるということ、と書かれていました。現実の相手と接することが出来るからこそ、相手とコミュニケーションが取れるのです、と。

 私の経験でもメールなどではすごく親密な文章でやりとりが出来るのにいざ会ってみると会話が全然弾まないという人がいました。思い返してみるとそういう方は精神面で問題を抱えている方ばかりでした。面と向かって自分の感情を表現するのが苦手な人という方が多かったです。

 そういう方が成長するためには「自分は精神面ではまだ幼児だ」ということを本人が認めない限り無理なんだそうです。コミュニケーションが下手な大人をたくさん見て来ましたが、家庭的に問題がある人が多かったのは事実です。いい両親に恵まれなかったということでは情状酌量の余地はあるものの、大人になって色んな人と接するうちに気付く人もたくさんいるでしょうし、幼少期のことばかりに問題があるとは私は思いません。どんな幼少期だったとしても精神的に成長することは可能だと思うからです。

 人生がすべて幼い頃に決まってしまうなんて悲しいじゃないですか。それに、私は両親から正しく愛情を注がれて育ったと思っていますが、人を羨みこんな風に生まれた自分を恥じたこともあったし、人に嫌われないようにと人間関係に悩んでいましたし、愚痴ったり悪口ばかりを言っていたこともありました。すべて両親のせいだとは思えないですし、正しく愛情を持って育てられたとしても、人って簡単に転落していくことはあると思います。どんな人と出会いそして学ぶかということが重要なのだと思うのです。

 過去のことは過去のこと、それがあったから今の自分がいるという風に前向きにとらえるか、過去のことが自分をこんな風にしたと足枷にするのか・・・そのことによって人生は大きく変わります。

 自分は過去の清算が出来ていないことに気付くこと。ないものねだりをしている幼児と一緒なのだということ。同情では解決しないのに同情を欲しがっているのだということ。嫌いな人から離れないのは心の中ではその相手を不幸にしたいと思っているから。そしてその嫌いな相手からも誉められたいと思っているから。

 私も嫌いな人の悪口を言っていたころ、その相手が私より不幸になればいいのに・・・って思っていました。自分が相手よりも成長すればいいことなのに、自分のことはさておき、相手には親友もいないだろうし成功するはずはないと思っていました。嫌いな人が誉められていると不機嫌になりました。その人が私のことを認め、敗北感を味わえばいいのに・・・と思っていました。

 客観的に見ればそれは相手を呪っているのと同じことですよね。当時は精神的にはまったく成長していませんでした。そしてどこかで良心の呵責を感じてもいて、自分が嫌いでした。

 不満を口にするのも自己憐憫に浸るのも、心の中にある怒りを放出するため。でもそれって成長しようとしない自分に怒りを感じているのだと私は思います。

 この間、誰の言葉か分からないですが、こんな言葉が目に留まりました。

 「人生においての幸せとは 成功ではなく 成長にある

 人は成功できた人を幸せそうだと思って嫉妬しますが、成功したとしてもその後転落することもあるし、成功し続ける人ってほんの一握りです。その一握りにならないと幸せじゃないと思ってしまうと人生って本当に寂しいものになりますよね。

 成功しなければ駄目だと思っていると不満や怒りが溜まるような気がします。私が幸せなのは、身体がかたくて出来なかったポーズが少しずつ出来るようになって成長を感じられるようになったからです。成長する喜びを知ったからです。人を羨んだり、愚痴ったりすることは生きていれば仕方のないことですが、その感情を抑制しようとするのではなく、ああ、幼児がだだこねてるなって思って、しっかり話を聞いてあげることです。きっと「私を見て、私のことを認めて、かまって」と叫んでいるのだと思います。

 自分の中の幼児に気付けたら、気付けた自分の成長を喜べばいいと思います。そうすれば、幼児は泣き叫ぶのをやめて前を向いて歩きだすと思うのです。

 多くの人が「悩まずにはいられない人」ではなく「悩まないでいられる人」になれますように・・・ 合掌