Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2016/5/31 「気に障る人」
 
   「タオに生きる」というサイトが好きでよく見ています。時々、ああ、こういう表現したかったんだ私・・・とか、私が思っていたことはこういうことだったんだ・・・という言葉をこのサイトで見かけると嬉しくなります。

 そのサイトで"気に障る人"についてちょっと前に書かれていたので、私もこの話題を。

 気に障る人って誰にでも一人はいますよね。今は幸いにしてすぐ周りには思いあたりませんが・・・。普通にOLしていた時は職場にいました。もちろん、私が相手にとって気に障る人だったこともありますけど。

 ヨガと出会ってから、自分が思っていたことの多くは自分というフィルターを通してみており、自分勝手な主観でしかないのだということをしっかりと文章で認識してからは、「あの人なんか気に食わないなぁ」って思った時にはすぐに「どこが嫌なんだろう?」と考えてみるようにしています。そうすると、大抵、自分が嫌いな自分の一面や自分がこういう態度はとってはいけないと思っているようなことを相手がやっている時に感じるのだということがわかるようになりました。

 そして、それはあくまでその人の一面であり、すべてが気に障るわけではないのだということにも気付かされました。

 きっとこの人は、こう思っているからこういう行為をするに違いないという色眼鏡で人を見てしまう癖がついてしまうと、事実は違うとしても真実に気付けないようになります。そのような思い込みで判断していると自分の好む人とばかりつるむので、苦手な人に対しての付き合い方が分からず、社会に出ればストレスばかり抱えてしまうことにもなりかねないのです。

 私もいまだに過去の自分の偏見で嫌いになってしまった人を好きにはなれません。相手が私のことを無条件に愛してくれれば別ですが、大抵は私のことを相手も嫌っているので仲良くなんてなれないと思います。全員に好かれることは絶対ないと今はわかっているので、無理にそんな相手と仲良くしようという気にはなりませんし、だからといって無視しようとも思っていません。関わる必要がある時は出来るだけ社会人としてフラットに付き合うようにしようと思っています。

 新たに出遭った人に関してはなるべく偏見で見ないようにとは思っていても、やっぱり気に障る人はいなくならないものです。以前は気に障る人がいた場合、それは自分だけじゃないということを確認したくて仕方がありませんでした。自分がいまいち好きになれない人が周囲から好かれている人だったと知ったときには自分の見方が間違っていたんだと、その人をみんなと同じように好きになったりしていましたし、好きな人でも周りがその人のことを嫌っていると知った瞬間、その人のことを嫌いになったりしていました。(人の意見に左右されすぎ 笑)

 だから、イジメってなくならないんですよね。最初は単なる波長が合わないとかそんな感情からで始まり、周りを巻き込み、イジメの対象になっている人が虐められて当然だという証拠を作り上げて自分たちを正当化しようとする。気が弱くて優しい人がターゲットになるのも、反論反撃できないから「ほら、あいつはやっぱり間違ってる。自分たちは正しい。イジメさせるあいつが悪いのだ」というような思い込みを強めていってしまうのだと思うのです。

 今は自分が嫌いな人は皆から嫌われてしかるべき人だと思わないですし、嫌いな人にも親友はいるし、評価している人もいるのだと理解できるようになりました。そして波長の合わない人というのは相手が悪いとか自分が悪いとかの問題ではなく、必ずいるものなので、仕事などで関わらないといけない場合は別ですけれど、一緒に生活したりするわけじゃないですし、人生のほんの僅かの時間関わるぐらいなら、適当に合わせておこうと思えるようになりました。

 気に障る人は自分の人生に彩りを与えてくれる人。自分がどんなことを嫌だと感じ、良いと思っているのかを改めて認識させてもくれます。自分の周りに自分が好きな人、波長が合う人ばかりになると、きっと大切さを実感することは少なくなってしまうのだと思います。

 自分が封印していた自分に対する嫌な感情を知るキッカケになったりするし、何より相手が態度を変えるべきだと思っているから気に障るわけで、そんな自分本位な考えにも気付くことが出来たりする。

 自分は正しい、私の考えが一般常識だから相手が変わるべきだ・・・と思っていてはずっと平行線。問題は先送りになっているだけで解決は出来ないのです。本当に自分だけが正しいのかな?狭い視野で物事を見てはいないかな?とちょっと俯瞰で見てみたら、自分が相手に「こんなことぐらい常識だからわかるだろう」と思い言葉でちゃんと説明していなかったこととか、言ったって無駄だと最初から判断していた・・・とか、色々と見えてくるはずです。

 そこで、「いいや、そうさせている相手にも問題があるのだから、自分が変わることで相手が得をするようになるのはなんだか納得できない」・・・と、今までのやり方を変えずに現状のままで過ごすのか、それとも自分が成長することを選ぶのか、それはすべて自分次第ですよね。

 私もすぐに「損したくない」と思う自分がひょっこり顔を出します。自分の意地汚い部分がどうしても出てくるので、その悪魔の囁きを無視するのはとても大変ですし、時々失敗して囁きに乗ってしまいます。

 その場限りの利益で行動せずに、損をしてもいいからやるべきことをやれる人間になりたいし、気の障る人と仲良くしなくていいから上手く付き合えるように出来たらいいなと思う今日この頃です。 合掌