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 コラム 

2017/2/27 「長女気質が・・・」
 
 2017年も始まり2ヶ月が過ぎました。おかげさまで眼の振動によって不調だった体調もすっかり戻り、入院する前の元気な自分が戻ってきて、あれは夢の中の出来事だったかのように思えるくらいです。

 ドラマも見られるし本も読めるし映画も見られるし、お陰様で仕事も順調です。ああ、幸せだな~と思いつつも、思い通りに運ばないことが起こるとイラっとしてしまうのは変わらず(苦笑)
 
 どうしたって思い通りにならないことが出てきますよね。その時に自分より力関係が上の方だと自分の意見を飲み込んで同意してしまったり、自分より下の関係だと思う相手には自分の意見を押し通したりしてしまいます。私は自分に責任がないことで人が誤解していることがとてもストレスになってしまいます。それ以外のことは自分の思い通りにならなくても結構平気だったりするのですが、責任の所在に関しては人一倍気にしてしまいます・・・

 私は長女だったので、弟や妹の悪さも監督できない私のせいになったりして、いつも「私は悪くないのに・・・」と思っていました。好きで長女に生まれた訳じゃないのに、何かにつけて「お姉ちゃんなんだから」と言われとても嫌だったのです。だって、その言葉を言われてしまうと何も言い返せないですから。その言葉は何でも一発で解決できる魔法の言葉だから、母も多用していたんだと思います。私だって姉として弟や妹にやさしくしなくちゃいけないってことはわかっていました。けれど、私だって自分の物は自分で独占したいし、一人で遊びたいこともあるし、弟や妹が悪いときだってある。

 けれど、忙しい母はいちいち状況を把握しようとする前に魔法の言葉を使ってしまう。そうすれば私は何も言えなくなるから。兄弟げんかを早く解決できるから。

 なので、6歳離れた妹の口癖は「ほら言った~!」でした。何か妹が私に要求して私が拒否すると妹は「お母さんは絶対お姉ちゃんなんだからって言うよ!」と言う生意気なヤツでして・・・笑。そして母が魔法の言葉を言った途端、得意げな顔で「ほら言った~!」と言ったものです。

 ああ、長女って損だと思っていたのです。ずっと。たぶん、今も・・・

 だから、常にそういう思いがあったから、社会に出てから上手くいかないことの中に長女気質が関係していることがありました。今思えばなので、その当時はそれが正しいと思ってやっていましたから、周りからは面倒くさい奴だとか了見の狭いヤツだと思われていたと思います。

 例えば仕事で何かミスが発覚したとき、私はそれが自分のミスなのかどうかを証明することに時間を費やし、自分の正しさを証明しようと犯人探しに躍起になっていました。それは傍からみれば「どうでもいいこと」でそれよりも速やかに相手への迷惑が最小限になる方法を模索するべきで、それが終わってからゆっくり犯人探しをすればいいことなのですが、私はまず責任の所在を明らかにしてからじゃないと動けないタイプの人間でした。

 本当、面倒くさい・・・。自分のミスだと分かればそれは全力で挽回しようとしましたが、誰かのミスであれば、その本人が頑張るべきだと思っていたからなんですよね。だって小さいときから自分の責任ではないことで責任を取らされていたから、もし動くとしても自分のせいではないと相手が知っている上で動きたかった。ちゃんと評価してもらいたかったのです。

 ・・・仕事とはそういうものではないのだと分かったのは随分あとでした。

 今も自分がしていないにのにそのことを指摘されるとトコトン追及して、そうではないと分かってもらえるまで進めないのです。解決しないとそのことが頭から離れなくて今することにも集中力を欠いてしまいます。

 つい最近もどうでもいい小さなことに囚われなんとか自分の責任ではないと証明することに時間を費やしてしまいました。そのことで相手の気分を害し関係性が悪化してしまったみたいです。私が大人になって流せば良かったのですが、それは確実に私の責任ではないことが分かっていたので、相手に正しく認識してもらいたかったんですよね・・・。でも、そうしたところで相手は納得してないみたいで。結局のところ私も納得していないし、このままだと本当にその人のことが嫌いになりそうです。前から苦手だったんですけとね・・・(苦笑)

 そして、そういうことって世の中蔓延しているんだろうなぁと思った次第です。勝手に「あれはあの人がやったんだろう」と思い込みで判断され、本人は責任がないことで犯人にされていることって沢山ありますよね。それは私も然りで、「またアイツか」と思ってしまっていること、沢山あるんだと思ったのです。

 人は自分の色眼鏡で物事を判断します。嫌いな人が言った言葉は「わざとらしい。心にもないくせに」と思ってしまうのに、同じ言葉を好きな人から言われるとそのまま素直に受け止められる。そういう生き物だと言えばそれまでなのだけれど・・・。でもそれでは生きて行き難い。

 私も嫌いな人の言葉は斜めに受け止めてしまってるなぁーと反省中です。嫌いな人と仲良くする必要はないので、仕事が円滑にいけばいいだけのこと。相手は変えられないのだから、自分が変わるしかないのです。それはわかっていますが実行するのが難しい。けれど実行しなければ社会人として評価されないし・・・。

 私が今、この責任のことについて自分を変えることが出来るとすれば「相手が私の責任だと思ってしまうような行為を普段しているからなのだ」ということなんですよね。もし、私が相手から信頼されているのであれば、きっとすぐに理解されたはずなのです。なのに、そう思ってもらえなかった。ほんの小さなことであっても、これが問題点なのだと思うのです。だから私は今回のことにこだわるのではなく、今後自分が信頼を取り戻すべく行動するしかないと思います。相手が苦手な人であろうがなかろうが。

 子供時代のことを思えば、私だって常日頃ちゃんとお姉ちゃんとして面倒を見ていれば問題なかったんだと思うのです。そう出来てなかったから、言われていただけのことなのかもしれません。一番最初に生まれてきた事実は変えられないのだから。子供でしたから、気付けなくても仕方がないですよね。その過去は変えられないけれど、今後はこの責任の所在を明確にしないといけない性質をなんとかコントロールしていこうと思います

 会社勤めじゃなくて良かった~と思いつつも、今後はなるべく相手のミスの指摘はせずに自分はミスしないように気をつけようと思っております。社会人として恥ずかしくないように頑張ろうと思う今日この頃なのでした。合掌