Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2017/8/30 「コミュニケーション」

 まずは病気について。左手のヒリヒリとした痛みやジンジンとした痺れは感じながらも、日常生活にはほぼ支障なく病気に関してのストレスは少しずつなくなっています。レッスン中に有痛性硬直性痙攣が起こることもほぼなく、車を駐車するときにも頻繁に起きてましたが、それは起きなくなりました。

 今は朝のシャワーの時に髪を洗っていると髪の毛の摩擦による刺激で起きる程度で、あとは無理にスキのポーズなどをとらなければ起きることもなくなりました。まったく起きない日もあり、順調に回復していると言えると思います。

 でも、ずっと天候がすぐれないせいなのか、痺れよりもヒリヒリとした痛みが強くてイライラして、思わず夫に当たったりして、そんな自分に自己嫌悪に・・・

 病気にも前向きになれたし、自分はかなり変わったと思えたのですが、まだまだ根本的には変わっていなかったと気付いて、「ああ、こんな自分を変えたい!」と、ネットで色々とネタ探しをしていて、あるブログを見つけました。

 性格を変えたいという人の多くは下記の3つに分類される性格に悩んでいるそうです。

 ・嫉妬系 
人の幸せを心から喜べない、自分より他の人が注目されているとムカつく、など。

 ・見下し系 
人を容姿で判断しバカにしたり笑いものにする、とにかく人と自分を比較し相手の劣っている部分を探し出し見下すことで優越感を感じる、など。

 ・わがまま系 
気に入らないことがあると露骨に表す、好き嫌いで態度を変える、優しくされて当然と思い感謝の気持ちがない、など。
 
 わたし・・・自分の性格で嫌いなところ、全部当てはまるのですが・・・(汗)

 性格を変えたいと思ったとき、人に見える態度や行動を変えようとしますよね?私もずっとそうして来ました。嫌われないように社会人として恥ずかしくないように・・・と。でも、それでは根本的な解決にならないんですよね。表面的に親切にしたり、人の幸せを喜ぶような態度をとったとしても、心の中では以前と変わらず人を妬んだり見下したりしているから。

 一番大切なのは「自分とのコミュニケーション」だということが書かれていました。だって自分自身とのコミュニケーションが一番長いのだから。

 自分自身とのコミュニケーション方法がそのまま他人へのコミュニケーションになるのです。嫉妬系、見下し系、わがまま系の悩みはすべて自信の不足、自分への愛情の不足が原因だということなのです。

 私はヨガの思想や仏教や様々な本を読んで「自己否定」はいけないということは知っていましたし、そのことが原因だということも知っていました。だから悩みがあっても前向きになろうとしたし、昔よりは人付き合いが出来るようになったし、人を認めることも出来るようになった。短気も少し良くなった。それでも、なぜか心のどこかでモヤモヤしたものがあったんです。それが、自分が自分とどうコミュニケーションをとるかということが大切だということには気付いていなかったからなんだと気付きました。

 基本、自分のことを好きだけど、嫌いな部分も沢山あって、そのことは仕方が無いと思っていたし、好きがあれば嫌いがあることは当たり前なのだから・・・・と、見てみないフリをしていたと思います。誰かと比べて劣等感を感じて嫌な気持ちになったとしても、「もっと頑張ろう」とか「頑張りが足りなかったから仕方ない」と思うことで気持を切り替えようとしてました。

 だから、「勝ち負けで判断したくない」「損得勘定で動きたくない」と思っていても、自分が自分に対して「勝つか負けるか、損得」で判断している限り、他者に対してそれを辞めようと思っても無理だということなんですよね。あーーー、胸が痛い(苦笑)

 「自分はまだまだダメだ」と常に非難している限り、無意識に人と比べて劣等感に苛まれ、その反動で意識的に優位に立とうとしてしまうのだそうです。負けず嫌いは劣等感の表れなのですね・・・。負けず嫌いの人は努力家の人が多いのだけれど、それは人を打ち負かすために発揮されているエネルギーなんだそうです。確かに・・・、今までの私は自分が満足できるかどうかではなく相手に勝てばいいという感じでした。

 ヨガを始めてから、変わったとはいえ、まだまだ自分自身に対して常に人よりも優れることを強いている限り、親切にしたり素直に応援することが出来ず、他者のダメなところを見つけて心の中で非難してしまうんですよね・・・。

 自分を変えたいと思ったら、「どのような人間になれば自分を好きになれるか」ということなんだそうです。人に好かれるためではなく自分が自分を好きになるためにはどうしたら良いか。そして何をするのではなく、どのような人間になるのかということ。他人の目線を考えずに自分が大好きになれる自分像を考えること。

 今の私がもう一人いたとして、その人のこと私は大好きになれるか・・・というと、たぶん無理です(笑)

 自分が自分に対して愛を持って接することが出来れば他人にも同じように接することが出来る、そして他人にも好かれる。自分が好きというのはナルシストやわがままになれということではなく、自分が自分を尊敬できるかどうか。

 分析ばかりして、それでわかった気になっていました。だから時々自己嫌悪に陥り、自分が嫌いになって、でも、人から好かれたいから表面上はいい人を演じたりして・・・。自分の心の中で自分を分析ばかりして、何故そうしてしまうかということはわかっていても、それで終わっていました。

 自分が好きになれる自分はどんな行動をする人だろう?自分が尊敬できる人はどんな風に考える?そういうことを今後は考えていこうと思います。

 私は常に何かと戦うことを強いていた。それは自分自身に向けられていたから、他人とも戦ってしまっていたということに気付きました・・・。

 自分が認められるような自分になりたい。50歳まであと2年と少し・・・ですが、遅くはないと思ってます。時間はかかると思いますが、なんとか死ぬまでには自分が自分に満足できるようになりたい。

 誰かの歌詞に「大人になって気付いたのは大人になんかなれないということ」というフレーズがありました。本当、いくつになっても、大人にはなれないものなんですね~。きっと死んでも。 合掌