Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2018/2/17 「判断を捨てる」
   

 2019年もあっと言う間に1ヶ月が終わってしまいましたね・・・。毎年言っている気がしますが。

 遅ればせながら・・・今年もどうぞよろしくお願い致します。

 最近読んだ本に書いてあった言葉にはっとさせられましたので、そのことについて。

 『「判断」を捨てれば、自分の判断にはまらずにすむ』

 これは自分がまちがっていても構わないという気持ちがあれば、物事は前に進み続けるということなのだそう。判断をすると自分が正しいという感じは得られるけれど、判断は「私が教わることは何もない。私はすべての答えを知っている」と言う気持ちになってしまうというのです。

 判断を捨てて、すべての答えを知る必要のないことを受け入れると、何かを教わる余地ができます。それによってより広い視野から見ることができるようになり、そこから道が示されるというのです。

 思い当たるふしがあります。この人の言うことはもう知っていることばかりだ・・・と思ってしまうときがあり、そういう先生のレッスンを受けるとき。

 もしくは明らかに自分よりも経験値が低そうだと思う人のレッスンを受けるときに、そう判断してしまっているが故に何もレッスンから受け取ることが出来ないことがあります。もし事前に何も情報がなければ、判断することもなく何か教わることが出来たかも?と思います。

 反対も然り。「ああ、この生徒さんは私の言うことはもうすでに知ってます」っていう表情してるなって思うときがあります。やる前から無理だと判断してしまっている人も結構います。どんなに私が伝えようとしてもまったく私の言葉を聞こうとしていないなって感じるときが結構あります。

 助言もそうですよね・・・・。自分が尊敬している人の言葉は心に刺さるけれど、自分がこの人は恵まれているな・・・、自分よりも苦労してるように見えない・・・とか判断してしまうと途端に言葉が耳に入っても来ないことが。

 もしかしたら、その判断を捨てていたら、何か得られたかもしれなかったのかな?・・・そう思いました。

 自分は間違っているのかもしれない、そう受け入れることで自分が「正しくなければならない」という呪縛からも解放されるような気がします。

 長く生きていると、自分の判断によって視野をせばめ、自分が良いと思うものしか受け入れず、駄目なものは悪だと決め付けて生きている人・・・沢山いると思います。

 その自分の判断がどこから来ているかもよく考えずに、それが正しいのだと疑いもせずに暴走してしまうこともあります。周りの人の言葉でそういう人だと判断してしまって、そうとしか見えなくなってしまうことってありますよね。

 みんなが良いと殺到しているものが欲しくなり、行列に何時間並んでも手に入れたり(本当に必要かどうかを考えずに)。

 大きいことで言えば戦争が国民としての義務だと疑わずに、戦争を拒否したものを非国民だと罵り、戦争で敵を沢山殺した人を英雄だと崇めることも、この「判断」を疑わなかったことが要因のひとつだと思います。

 考えることをせずに慣習で自動的に反応していることのなんと多いことか・・・と、ちょっと考えてみただけでゾッとしてしまいました。

 もちろん、常にこれは正しい判断だろうか?とか判断に囚われているのだろうか?などと深く考えることを良いとするのではなく、たとえ判断したとしても間違ってもいいし、正しくなくてもいいって思うことが大切なんです。柔らかい気持ちと頭でいることが必要・・・なんでしょうね。

 私もヨガを始めるまでの私よりはマシにはなりましたが、まだまだ白黒つけたい気持ちになりますし、第一印象で「味方になる人」「敵になる人」という判断をしていることが結構あります。

 失敗してもいいんだ・・・正しくなくてもいいんだって自分をもっと解放してあげようと思いました。

 2019年はより一層「判断」せずに間違った自分を受け入れて間違うことを恐れずに前に進んでいきたいと思います。
 合掌