Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2008/11/17 「長女は要注意」
 9月から月1回ヨガの講座に通っているのですが、主に座学がメインの講座で、心と身体のことをヨガの教えで説いていく・・・というような感じです。
 毎回宿題が出て、自分の心としっかり向きあわなければならないので、ちょっと辛い時もあるのですが、そのおかげで自分の性格のいい面と悪い面が浮き彫りになってくるような気がします。

 勉強している中で、“心身症になりやすい性格”というのがあったのですが、まさに私にピッタリでした 笑。いわゆる長女気質というヤツです。長女でなくとも当てはまる人はご注意を!

 真面目、仕事中毒、模範的、頑張り屋、人から頼まれるといやと言えない、自己犠牲的、良い子と表現される性格・・・など。過剰適応の傾向が強い人は心身症になりやすいということです。
 
 過剰適応とは、期待されているかいないかは別にして、期待に応えたい、期待以上のことをしたい、認めてもらいたいという思いが強かったり、人からどう見られているかを必要以上に気にしたり、完璧にやりたいと思ったり、出来ない場合必要以上に自分を責めたり・・・というようなことです。

 この期待以上とか必要以上という“○○以上”・・・がいけないんですよね~。「やっぱりかぁ~」という感じでした。私も自分ではそんなつもりはなかったのだけれど、思い出してみると、人から良く思われたい、評価してもらいたい、という思いで行動していたように思います。

 人は自分が思っているより、期待していなかったり、期待していないと思ったら期待していたりする。・・・要するに人によって違ったり、時と場合によっても違うものなのに、なんでもかんでも同じように完璧に(自分なりに)したいと思うところから、自分で自分にプレッシャーをかけて、出来ない自分を責めて、勝手に落ち込んでしまうんですよね~。

 今まで何かトラブルが起きた時に真っ先に思ったことは「自分のせいなのか、そうではないのか」ということでした。自分が原因だった時はそれを人から責められはしないかとビクビクし、そうでなければ誰のせいなのか原因を追及しようとしてきた。今思えば、なんて見苦しい・・・と思う。

 子供の頃、兄弟喧嘩をすれば「お姉ちゃんなんだから」という訳のわからない理由で自分が悪くなくてもしかられた・・・。いつも「私は悪くないのに!」というモヤモヤした思いを抱えていたことが原因かな?と思います。下の子が生まれた時に自分で望まなくても、姉という役を演じることを期待され、その期待に応えることが自分が愛されるためには必要なんだと思ってしまったんでしょうね。そしてその「姉」の役は損だな・・・とずっと思っていました。

 社会に出てから、最初のうちは「姉」の役は廻ってこない。しばらくは「妹」の役を演じなくてはならない。でも、なかなかその「妹」になるのが難しい。念願の妹役なのにどうしていいかわからない。甘えることが出来ない。生意気にも最初からうまくやりたいと思っちゃう。どうしても「姉」役がはなれない。

 そして何かトラブルが起きると、今までの理不尽にしかられた思いがあるせいなのか、損したくないという思いが強いせいか、まずはトラブルを回避することが大切なのに、自分を正当化することばかり考えてしまう。原因なんて、後からでもゆっくり探せるし、自分を正当化することだって後からいくらでも出来るのに。そして、心のどこかではそんな自分に自己嫌悪してる自分がいるんです・・・。

 私が正しい・・・ということは自分の意見に同意してくれない人は間違っている。そんな人と付き合うのは損をする、だから別に付き合わなくてもいいし、好かれなくてもいい。その反面、実際は人からどう思われているのかスゴク気にしていて、人の意見に一喜一憂している自分がいて、心の中は波風でぐちゃぐちゃです。そりゃ・・・心身症にもなりますよね 笑。

 私はヨガの教えを通して、自分の間違いに気付くことが出来て来たけれど、それが全て正しいとは思っていません。何が正しいか正しくないかなんてことは別にどうでもいいんです。ヨガを始めるまでは「何が正しくて、何が正しくないか」ということをハッキリさせたくて仕方がありませんでしたが、今は保留でもいいし、一応これが正しいんだね、と思うことも、間違っているかも、と思うこともあって良いんじゃないかな?って思えるようになってきました。

 自分には一歩間違えば心や身体にトラブルを抱えやすいところが在ると知っていれば、反対にそれだけでこれから先、楽に生きられるのではないだろうか?と思うのです。自分の癖を知れば、それを活かして操縦する楽しさみたいなものを感じられるのではないのだろうか・・・「こんな癖のあるヤツを乗りこなせるのは私しかいない」みたいなマニア的な感覚と言えばいいのでしょうか?

 ヨガをはじめるまでは、自分に都合のいい変化を喜び、自分に都合の悪い変化に慌てていました。でもどんな変化も起こるのです。それをどう受け止めるかは自分次第。一見都合の悪い変化だと思ったことが、実は自分を成長させてくれることもある。良い変化だと油断していたら、それは単に自分の怠惰な感情を増長させるだけになるかもしれない。

 そのことに気づけた今、前ほど自分にプレッシャーを与えなくなりました。人の期待に応えようとか、人からどう見られているかとかはどうでもいい。そんなのは結果であって目的ではないのだから、変化を楽しもう・・・そう思えるようになって来たかもしれません。まだまだ修行の身ですが。


 皆さんは「自分」という人間とどう向きあっていますか?今まで気付かなかったことが色々見えてくるかもしれませんよ。ちょっと辛い作業ですけれど 笑。  合掌