Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2008/12/26 「自分と向き合う時間」
 今年も残り僅かとなりました・・・。今日、今年最後のレッスンでした。皆様、今年1年本当にありがとうございました。最後の週はキャンドルヨガを行いましたが、いかがでしたか?瞑想では「ヨガを始めてから変わったこと」を考えてもらう瞑想をして、それぞれの体験をシェアさせて頂きました。

 前向きに考えられるようになった、身体が柔らかくなるに従い心も柔軟になった、姿勢が良くなった、肩こりがなくなった、イライラしなくなった、毎日が楽しくなった、自分が何かを続けられるなんて驚いた・・・等々、皆様に色々な感想を聞くことが出来て、そのお手伝いをさせて頂けていることに幸せな気持ちになりました。感謝の気持ちで一杯です。

 私の今年一年を振り返ってみますと、自分と向きあう時間が多かったように思います。昨年はやってみなくちゃわからないことだらけで、頭の中が混乱していたことも多く、無我夢中で突っ走っていた・・・という感じでしたから、今年になってようやく自分の心と身体を見つめる余裕が出来たように思います。そして、今年1年で心も身体も更に変化したと思います。

 ヨガは素晴らしいものだけれど、間違った方向へ進むと、何のためにヨガをしているのか訳がわからなくなります。上手くポーズをとろうとしたり、身体の柔軟性だけを目的にすると、心のことを忘れてしまいがちです。ヨガを始めたばかりのころ、身体の変化が楽しくて無我夢中でした。そして気が付くと人と比べて、自分の優劣を測って一喜一憂している自分がいました。焦って無理して余計に身体を硬くしていたこともありました。

 そんな状況を変えたのは、本格的にレッスンするようになり、ヨガの良さをちゃんと伝えて行きたいと思って、ヨガの教えに向きあうようになってからだと思います。ヨガは順位を決めるものでもないし、人に自慢したり、見せたりするためにするのではありません。それは頭ではわかっていましたが、心では理解出来ていなかったように思います。

 ポーズばかりがヨガだと思われて、いかにキレイにポーズをとるか・・・ということにフォーカスされがちですが、本来のヨガは自分自身の本質(真我)に気付くために行うものです。

 レッスンの中で「ヨガの教え」をそれとなくお話させて頂くのですが、なかなか短い時間で伝えきれているのかどうか・・・。もっと身体の柔軟性を向上させるだけではない、ヨガの素晴らしさを伝えていきたいのですが、時々「押しつけがましいかしら?」とか思ったりして、怖じ気づいたりすることもありますが、これも私の役目なのだと、自分に言い聞かせて、自分を奮い立たせております。なので、温かい目で見守ってください 笑。

 来年は、ヨガの教えだけを学ぶ時間なんかもレッスンとは別に行いたいな・・・なんて思ったりしています。私が講義するだけではなく、皆さんが日常生活でぶつかった問題を「ヨガ的」に考えたりするような、そんな時間にしたいなと思っています。お茶とお菓子付きで懇親会っぽく。・・・どうでしょう?賛成の方はメール下さい 笑。

 自分と向きあう時間が増えた・・・と言いましたが、この自分という「自己」はいかなるものか、という答えを人間は生まれてそして死ぬまで探し続けるものだと思うのです。何分瞑想したとしても、毎日自分という人間について考えたとしても、答えはあってないようなものです。どうしたって、変化し続けるのですから・・・

 でも、人はそれを探さずにはいられないのです。例えば、突然両親に「お前の本当の両親じゃないんだよ」と言われたとします。ショックはショックですが、その次に来るのは「本当の両親はどこにいるの?どんな人なの?何故こうなったの?」と知りたい欲求に駆られるでしょう。

 人はみな、自分の「出自」を知りたいのです。そうしないと自分の存在があやふやで不安になるのです。中国残留孤児の問題にしても然り。知らないうちは、今を生きることが出来ないのだと思います。そこが、他の動物との違いではないでしょうか?

 我が家の猫たちは、自分がどんな親から産まれたとか、そんなこと知りたいなんて思っていません。(たぶん)何事にも執着していないので反対に幸せそうだなぁ~って思うときがありますが。そんな風に私が思っていることも彼らには「関係にゃい」のです。悩むのが人間でもあり、その悩むことから逃げないで1つ1つクリアしていくため生まれてきたと思うのです。それは何故なのか?

 それは「本質」(真我)が向上するためです。私たちは何度も肉体を変えながら、様々な時代、環境を生きて、そして学んでいます。そうして、悟るまで、輪廻転生を繰り返す訳なのです。なんか宗教っぽくなりました?ヨガをしているだけで幸せになるとか、この壺を買ってくださいとか、寄付してください・・・なんて言いませんからご安心を 笑。

 ヨガは生き方を教えてくれるものです。全ては自分次第だと教えてくれるものなんです。

 私の大好きな玄侑宗久さんは「禅的生活」でこう書いていらっしゃいます。
 「自己とは死ぬまで生活の中で問い続けるものであり、回光返照を繰り返しながらも、答えは生き方にしか存在しないということだ」・・・と。

 回光返照(えこうへんしょう)とは、他人の考えばかりをなぞっていた自分に気付き、そのスポットライトを自分の内側へ向け直すことを言います。ヨガは常にこれ・・・です。外側ばかりを気にして人の意見に振り回されていた自分に気付き、自分の内側を照らし、受け入れ、認めて、自分自身の本質に気付いていく・・・。この本質は「個性」ではありません。その辺がちょっと間違えやすいのですが、反対に好きも嫌いの感情も人の主観で変わるものだと気付き、そんなものは無いと気付くこと・・・なので、反対に個性はあって、ない・・・のです。

 なんだか難しい話になってしまいましたが、来年はもっとこのあたりの話を分かりやすく、自分の言葉で伝えられるように更に勉強していきたいと思います。回光返照を繰り返しながら・・・

 それでは、みなさま良いお年をお迎え下さいませ。  合掌