Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2008/12/9 「死について考える」
 最近読んだ「モリー先生との火曜日」という本についてお話したいと思います。
 この本はノンフィクションで、難病ALSに侵されてもなお、人生の意味を説くモリー先生とかつての教え子であるミッチとのふたりだけの授業をまとめた本です。
 
 ヨガを始めてからは、「死」というものについて、時々考えてみることが多くなりました。それは以前のような漠然とした「死への恐怖」というものではなくて、どう死にたいか・・・というようなことだったり、いつ死ぬことになってもいいように生きて行こう、というようなことだったのだけれど、この本を読んでもっと深く考えてみたいと思うようになりました。

 死、家族、恐れ、社会、老い、許し、欲望、結婚について、モリー先生は語ります。

 「いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる

 「死ぬっていうのはね、悲しいことの1つに過ぎないんだよ。不幸な生き方をするのはまた別のことだ

 「多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。自分では大事なことのように思って、あれこれ忙しげに立ち働いているけれども、実は半分ねているようなものだ。まちがったものを追いかけているからそうなる。人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創り出すこと

 「ほしいものと必要なものがまるっきりごっちゃになっている。食料は必要なもの。チョコレートサンデーはほしいもの。自分を欺いてはいけないよ。最新型のスポーツカーは必要ではない。豪邸は必要ではない。そういうものからは満足は得られない

 ・・・・まだまだ、沢山の素敵な言葉が本にはあります。人によって、気付きを得る言葉は違うでしょう。だから、是非、少しでも心を動かされた人は読んでみてください。きっと、心に残る素敵な言葉に出会えるはずです。

 物が溢れているこの時代は、ほんとうに必要なものを自分で選択していく力をつけていかなければならないと思います。時には失敗し、迷い、惑わされ途方に暮れることもあるでしょう。でも、それでも、自分で選ぶことから逃げてはいけないと思います。

 人は必ず死にます。それは全ての人に訪れるものです。明日かもしれないし、10年後かもしれません。病気になってから、高齢になってから「死」についてあわてて考えたり、目の前の死に恐れおののいて自分だけ不幸だと思ったりするのは間違っていると思います。
 
 死ぬまでの限られた時間を情報に踊らされ、欲望に惑わされ、不平不満ばかりを口にし、人のせいにして無意味に過ごし、その最後の時を迎えるのか、それとも、自分でよりよい選択をし、つねに自分の生きる意味を探して最後の時を迎えるのか・・・

 「私は何故この世に生まれたのだろう?」と誰もが考えたことがあるでしょう。必ず人にはそれぞれこの世に生まれてきた目的と意味があるはずなんです。それは、人に決めてもらうことではないと思います。そのことに気付かずに多くの人は有名人になることや、お金を儲けることが生きる目的だと、意味があることだと思いがちです。

 それはきっと、どう死ぬかを考えていないから・・・ではないでしょうか?どうしたら、幸せになれるのかばかり考え、いま手にしているものを失いたくないと目先のことばかりに囚われ、人と比べて自分を卑下したり、人を見下したり・・・。どう死にたいかを考えれば、必ずしもブランド品は必要ないし、豪邸に住む必要も、沢山のお金を持つ必要はないと思います。必要なのは、最後の時を見守ってくれる、友や家族・・・ではないでしょうか?

 モリー先生は教えてくれました。お金で買えるものでは、人は満足を得られない、と。

 「ほんとうに満足を与えてくれるものは、自分が人にあげられるものを提供すること。それはお金ではなく、時間や心づかいや、話をすること

 ヨガの教えでも幸福は外に求めるものではなく、自分の内にある・・・といいます。自分の内側に満足出来ないから、外側のもので補おうとする。でも、それは一時しのぎだから、すぐに不安になり、人が羨ましいと思うものへ次々と移っていき・・・永遠に満足は得られない。

 何かものを買うとき、これは必要か?それとも欲しいだけ?と自分に問いかけてみましょう。必要なものはそんなに多くはないことに気付くはずです。結局、死ぬときは何も持って行けないのですから・・・。死んだ後なにが残るのでしょうか?モリー先生は「死で人生は終わる、つながりは終わらない」と教えてくれました。

 こうして、私たちがモリー先生の死後、先生の人生に触れることが出来るのも、つながりが消えなかったからです。ミッチという教え子のひとりが本に遺し、そして日本語に翻訳され、こうやって私が紹介したことによって、本を読む人がいたら・・・私もモリー先生のつながりの鎖の一部になれるかもしれません。

 ヨガという言葉は「つなぐ」とか「結ぶ」という意味があります。私はヨガを通して人とつながりを持ち、自分が感動したこと、辛かったことなどを伝えていくことが今の私の「生きている意味と目的」なのかな?とこの本を読んで思いました。

 最後の「死」の瞬間をどう迎えるか・・・一度考えてみませんか? 合