Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2008/5/21 「自分らしさは記憶?」
 最近「脳」に関する著書が目に付き、手当たり次第読み始めています。その中で、自分らしさ・・・って何なのか?ということが書かれていて、ちょっと考え深いものを感じましたので、お話したいと思います。

 今自分が思っている「私」という存在。そして周りから見た「私」という存在。それが必ずしも一致しないことは、みなさんも理解していると思います。じゃ、いったい「自分らしさ」って何なのよ?と思いませんか?
 自分は何を基準に「自分らしい」と判断し、そして、周りも何を基準に判断しているんだろう・・・と。
 
 それは「記憶」なのです。

 夜、眠り、朝起きて「自分」が「自分」であると思うのは、記憶があるからで、もし、記憶喪失になったとしたら、起きた途端に「私は誰?ここはどこ?」ですよね。そして、今まで判断基準としていた「記憶」がなくなれば、以前とは違う選択をするでしょう。そして周りも自分も以前の自分とはまったく違った自分を認識することになります。
 今まで生きてきた記憶が残っているからこそ、朝起きても自分であり、飲んで酔っぱらって一時的に記憶がなかったとしても、自分だと認識できるんです。

  だから、やっぱり人生は思うとおりに変えて行けるんだと再確認しました

 だって、今の自分の行動を創り出しているのは以前の記憶があるから。だったら、ちょっと意識して自分が「こうしたい」と強く願えば、それが以前の自分では考えられない行動であっても、達成することが出来るような気がしてきませんか?
 やる前から失敗した過去の記憶に縛られて「やったって無駄」だと思うより、失敗してもいいから、自分がこうなりたいと思う方向へ進んで行けば、きっと望んだ通りの人生を歩むことが出来るはずだと思います。
 でも、「世の中そんなに甘くない」とか「簡単にできることだったら、みんな実行してる」と思ってしまうと思います。もちろん、実際世の中は甘くないし、簡単なことではないでしょう。
 だけど、自分が望む自分になれないのは、過去の記憶のせいだとしたら、その過去の記憶に縛られて生きるのは、なんだか馬鹿馬鹿しくないですか?過去の記憶は過去の記憶として、認めて、受け入れて、そして自分が望む自分になれるようにイメージして行動してみる。

 それにその自己の基となっている「記憶」は結構曖昧なものなんです。過去の記憶をいつの間にか都合良く書き換えてしまうこともあります。もしかすると失敗した思い出は、自ら作り替えた記憶かもしれません。曖昧だからこそ、私たちは臨機応変に生きていくことが出来るのですが、そんな曖昧なものに惑わされるのは、いかがなものでしょう?教訓として活かすのは良いとしても、いつまでも悔やんだり、苦しんだり、逃げたりするのは自分で自分の首を締めているだけです。

 私はヨガを始める前は、身体が硬いのは体質で、絶対に頭立ちも出来ないと思っていました。ところが今は・・・頭立ちも出来るし、有る程度柔軟になりました。これって、もし私が過去の記憶に囚われていたとしたら、今の自分は存在しなかったと思います。以前の自分がタイムマシーンで今の私と会ったとしたら、同じ自分だとは信じられないでしょう・・・。ヨガを通じて「努力すれば人は変われる」こと「人生は望む通りになる」こと、それを実感しています。
 ただし、ただ闇雲に「お金持ちになりたい」とか、そんな望みは叶いません。それは望みではなく「欲」ですから(笑)
 私も毎日「こうなりたい」とか念じているわけではなく、こうなりたいな・・・と思ったら、何をすべきか思いつくので、それをこなしているだけです。そして気付いてみたら願いが叶っている・・・。記憶が曖昧なら、良いイメージを頭に植え付けて、良い記憶に変えてしまいましょう。幸せな脳にすればいいんです。
 自分が幸せになれば、周りの人も幸せになります。 合掌