Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2008/8/21 「今に満足すること」
 ヨガや仏教では「今を生きる」ということを大切にします。
 でも、これ・・・とても難しいということが最近わかってきました。何故かというと、こうしている瞬間に今は過去になってしまうからです。
 「今」を感じることはとても難しい。
 今だと思った瞬間に過去になっている。
 だからこそ、今を感じようとするのかもしれません。もし、今が実感しやすいものであるならば、仏陀もヨガの教えでもそれをあえて問題にする必要はないはず。

 過去のことにとらわれていると、前に進めないけれど、時間は容赦なく進んで行きます。今を積み重ねたことが過去になるのなら、過去をいつまでも悔やんでいても仕方ないと思います。
 今、一歩踏み出さなければ、何も始まりません。

 硬い身体、コリやハリがある身体を作ったのは自分。だとすれば、自分が頑張らない限り、柔らかい身体、健康な身体は手に入らない。そして、やってみないとはじまらない。

 ヨガではよく「ありのままを受け入れる」ということを大切にします。今の自分の身体、心、環境を受け入れて、そして認めること。そこからスタートです。そして「損をしてる」と感じるのではなく、私は今こういう状態で良かったと認めること。コップに水が半分入っている状態を「もう半分」と感じるか「まだ半分」と感じるか。全ては自分次第。

 身体が硬くても死ぬわけじゃない。「ああ、自分はこの程度ですんで良かった」と思い、だからこそ今ヨガに出会ったのだと思う。そして自分に出来ることをひとつずつして行く。ただそれだけ。

 だから例え、はじめたばかりで、人と比べて自分の身体の硬さにショックを受けたとしても、そこで「あぁ、この状態でヨガと出会えて良かった、時間はまだある」と思うのと「こんなに年を重ねてしまってからではどうせもう無理だ。あの人は柔らかくて羨ましい」と思うのとでは、同じヨガのレッスンを受けたとしても、心や身体に与える影響の差はどうでるか・・・

 自分の過去はちゃんと受け止め、これからどう生きていくかを考える。今までと同じに考えていたら、自分は変わらない。周りの環境や人なんて関係ない、全ては自分の考え方ひとつなのです。考え方を変えて行くと、不思議と環境も人も変わっていくものなのです。でも、その先に次の段階があります。ここでの心構えによって、もとの状態に戻るか、もっと上に上がるかが決まってきます。

 人は環境に慣れてしまえば、それが当たり前になってしまう。そして「もっと」と欲張る。周りが優しくしてくれることが当たり前だと思って感謝することを忘れる。ずっと幸せが続くと勘違いする。そして、そんな自分に嫌気がさして人は去っていく。その時に初めて失ったことに気付き、焦るがもう時既に遅し・・・。

 ヨガに当てはめれば、身体が柔軟になって、もっともっと柔軟になりたいと欲張る。そして無理をして怪我をする。・・・もしくは身体が柔軟になったことで安心してヨガをしなくなる。

 ヨガの教えに「知足」という言葉があります。それは「今に満足をする」ということ。
 
 今に満足するというのは、努力したら駄目とか目標を持ってはいけないとか、そういう無気力や無関心になれ・・・ということではなく、今の自分が生きて生かされてるということ自体に感謝していくということ。他の人よりお金を持っているとか、地位や名誉があるとか・・・そんなことは自分の幸せをはかるものではない。自分が幸せかどうかは自分が決めるということに気付くことが大切なのです。

 そして、お金や地位や名誉がなくなってしまっても、それに左右されないようにすること。お金や地位や名誉があること自体は構わない、けれどそのことに執着せず、失った時にどう考えられるかということが重要なのです。「命まで奪われなくて良かった」と思うか「なぜ私だけ不幸なのだ」と思うか。

 絶対に変わらないものはないのだということに気付いている人は、そのことに執着しない。そうすればありのままの自分を受け入れられ、周りも受け入れてくれるだろう。そして今に満足出来れば、今を生きることが出来るのだと思います。

 今に満足していますか?不平不満ばかりで、一歩も歩き出していない・・・なんて一度きりの人生もったいないですよ!さあ、一歩前に進んでみましょう! 合掌