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 コラム 

2009/4/22 「ガンジー」
 お恥ずかしながら、つい最近、映画で「ガンジー」(1982年公開)を観て、初めてガンジーという人がどんな人だったのかを知りました。ガンジーについては、色々な文献やホームページでも紹介されていますが、私なりにまとめてみたいと思います。※間違っているかもしれません。

 ガンジーは1869年生まれ。(私と100歳違い 笑)ロンドンに留学して弁護士になり、南アフリカで開業します。そして、南アフリカでの人種差別政策に対して、インド人の権利を擁護する活動を始めるのです。15年間は南アフリカでの活動だったこと、弁護士だったこと・・・まったく知りませんでした。

 ガンジーは1915年故郷インドに帰国。第一次世界大戦後に当時イギリス統治下にあった、インド独立に向けて活動をはじめ、インドの政党「インド国民会議」に所属します。暴力を受けたとしても、暴力で返さない、けれど服従もしない・・・という非暴力、不服従運動で世界的に知られるようになります。イギリスの綿製品を着用せず、伝統的な手法のインド綿製品を着用するよう呼びかけ、不買運動を行ったりし、それらの活動のため、たびたび投獄されています。イギリスの塩の専売に反対し、デモ行進した「塩の行進」の映像は世界に流れ、注目を浴びました。(ガンジーは投獄され、ガンジーの意志をつぐものが行いました)
 
 非暴力、不服従が全ての民衆に受け入れられた訳ではなく、民衆の不満は暴動という形でふきだします。そのことを嘆いたガンジーは断食をし、暴動が治まらなければ、死をも恐れないという意志の強さを身を以て民衆に示そうとしました。世間の良心を呼び覚ましたかったのだそうです。暴動を武力で制圧するのではなく、人々の改心によって終わらせたかったのです。ガンジーが政党に所属していたのは、政治権力を得ることが目的なのではなく、人々の状態を改善するための手段の1つだったのです。

 ガンジーは、断食は果実を期待しておこなってはいけない・・・と述べています。利己的な欲がない断食だったからこそ、成功したのです。ダイエット目的で断食すると・・・どうなるか、わかりますね?リバウンドするそうです・・・。私は断食を半日で断念した「食への執着」が捨てきれない愚か者ですので断食について語る資格はございませんが・・・ 笑

 20年余り会議派のトップとしてガンジーは自分の信条を貫こうとしました。ガンジーの思想は当時の人でも到底叶わない夢物語に聞こえたと思います。実際、非暴力、不服従は政党のプログラムであり、ガンジーが思う行動はともなわないものでした。ガンジーは会議派と根本的に違うということを実感し、委員会から解任されることを希望し、一人戦っていくことになります。ガンジーにとって、非暴力、不服従は信条ですから、賛同者がいなくても戦っていく覚悟が出来ていたのだと思います。

 インド独立にむけて、活動する人の中には日本と手を組もうとする動きもありました。ガンジーは日本が戦争によって、色々な国を侵略してきたのを知っていますから、日本の協力によってイギリスが撤退しても、今度はイギリスが日本にとって変わるだけになることを危惧していました。日本人が嫌いだったからではなく・・・。実際、もし戦争に日本が勝ったとしたら、そうなったと私は思います。

 1947年ようやっとインドはイギリスから独立することになるのですが、それが実現するとなると、イギリスが持っていた権力を自分たちが持とうとする動きが沢山ありました。悲しいけれど、そういう生き物なのでしょうか?人間って・・・。

 大きなものではヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立でした。ガンジーはまたもや断食を決意します。カンジーはもちろん、ヒンドゥー教ですが、他の宗教も認める姿勢をとっていました。それぞれが正しく、どの宗教が一番とかではなく、信者は良いヒンドゥー教徒、良いイスラム教徒になるべきで、どちらの宗教が正しい、正しくないということで争うのは間違っていると考えていました。ですが、その姿勢がイスラム教へ譲歩しすぎると、ヒンドゥー教徒側から不満を買うことになってしまいます。

 断食の成果もあり、暴動は治まりますが、ガンジー自身が望んだインド統一とはならず、インドとパキスタンとして、分離独立することになってしまうのです。ガンジーは統一にむけて活動していくつもりでした。
 
 ですが、翌年1月、ガンジーは礼拝に行く途中で狂信的なヒンドゥー教徒である若者から至近距離で暗殺され、78歳でこの世を去ります。最後の言葉は「おお、神よ」だったそうです。この後に続く言葉は何だったのでしょう・・・。

 今のインドの姿も、世界の国々も、ガンジーが貫こうとした思想とはかけ離れています。ガンジーは、物質的な豊かさは、人を退廃させるということを知っていたのです。経済成長は道徳的堕落をもたらすと。資本主義は人々を幸せにしないと。

 ガンジーは自分の生き方をもって、自分の思想を示した人でした。あるメディアにメッセージは?と聞かれ「マイライフ」と答えています。私の生き方がメッセージだと・・・。私は今「私の生き方を見て」、と胸を張って言えるかな?と考えると・・・うーん、ゴメンナサイという感じです。

 偉人と言われる人の多くは、謙虚であり、常に自分を冷静に客観的に見る目を持ってたと思います。ガンジーも決して自慢せず、多くを求めず、自ら実践した人でした。ですが、偉人達の多くがそうであったように、身近な家族との軋轢に苦しみました。彼の息子は、親に反発し、最後まで心が通うことはなかったようです。時に強い意志は身近な人にとっては厳しすぎるのかもしれません。

 たとえ、子供に受け入れられなかったとしても、ガンジーはインド独立のみならず、沢山の人々に影響を与え、没60年以上たった今でもガンジーの思想は生き続けています。私はガンジーのように生きることは出来ないと思いますが、今のこの現代を生きていく上で、ヨガの勉強をしていく上で色々と考えさせられる人物のひとりであることは間違いありません。

 今、不景気で人々は消費せずに節約する方向に進んでいます。私は、とてもいい方向だと思うのです。ガンジーは「非所有」ということも言っていました。必要以上のものを持たないということです。以前のコラムにも書きましたが、必要なもの欲しいものを混同している現代人にとって耳の痛い言葉です。

 私も含め日本人は今、必要以上を所有していると思います。多く所有していることがステータスになっています。だから不景気になり、物を大切にすることや考えて消費することが人々の心の中に芽生えて来ているのではないでしょうか?

 そんなときに定額給付金で消費せよ、という政府の動き。なんだか世の中の動きと逆行しているように思えてなりません。確かに消費してお金が循環することは必要だと思います。でもこれ以上大量に物をつくり、消費させることが、日本のため、世界のためになるのかな?と疑問に感じてしまいました。それは一部の企業のトップにとって必要なだけで、民衆は消費することを望んでいないのではないでしょうか?ガンジーは言っています。

  地球は、すべての人の必要を充足せしめても、彼らの欲を満たしきることはできない。 

 そして最後にもうひとつ、ヨガの思想にも通じる素敵な言葉を紹介します。

 明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。 

 私たちは永遠に生きると思って所有し、明日死ぬと思って欲望のまま消費しているのではないでしょうか?不景気を社会や政府の責任にせず、メディアに踊らされず、そこから何を学ぶべきなのかを一人一人が考える時だと思います。なんだか、堅苦しい感じになってしまいましたが、長いコラムを読んで頂きありがとうございました。 合掌