Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2009/8/19 「依存心」
 最近のテレビの話題といえば、薬物依存についてですよね。今回は依存について考えてみたいと思います。
 
 考えるまでもなく、薬物依存は駄目なことですけれど、私も含め多くの方は何かに依存しているのではないでしょうか?
 例えば「コーヒー依存」「買い物依存」「アルコール依存」「タバコ依存」「ネット依存」「携帯依存」・・・これがないとイライラするとか、一日が始まらないとか、そう思ってしまうこと。

 私は朝コーヒーを飲むのが日課なのですが、コーヒーを切らしてしまった時とか、なんだか落ち着かない気持ちになったりして、どうしてコーヒーを買い忘れてしまったのか、イライラしてしまった時もありました。その時思ったことは「私はコーヒーがないと駄目な人なんだ」という考えでした。今は「コーヒーがないと駄目だと思ってしまうこの心根を変えよう」と思うようになりましたけれど・・・

 ストレス解消に買い物に行くのも、ある意味依存していると言えます。毎日じゃなくても、それが気分を左右してしまうのであれば、依存です。本当に必要じゃないものをついつい買ってしまって、それで満足して結局一度も使わなかった・・・そんなものが沢山ありませんか?(私はたまにあります 汗)

 私は前よりも依存する心が少なくなった・・・とはいえ、まだまだです。
 
 ヨガは偏らない心の大切さを教えてくれました。「これがないと駄目」とか「これは嫌い」とかそうやって、物事を分けて考えることによって私たちは自分の心を安定させようとします。でも、そうすることで、反対に自分の心を縛っていると思うのです。

 例えば、嫌いな食べ物だって、その食べ物が混ざっていると知らなければ「美味しい、美味しい」と食べていたのに、入っていると聞いた瞬間に吐き出してしまったりする。それは「嫌い」だと自分で分けてしまったから、条件反射的に反応してしまったのです。
 そういうことは、他にも沢山あると思います。同じことを言っているのに、好きな人が言うのと、嫌いな人が言うのとでは自分の反応が正反対だったりしたことありませんか?

 依存とは結局のところ自分が創り出してしまった「条件付け」なのだと思うのです。それがあると安心する、と思いこんでしまっている。だったら依存なんてものは気の持ちようじゃないの?って。

 いつのまにか「~ねばならない」とか「~は無理」とか「わたしはこういう人」と自分で自分の力を制限してしまっていることに気付き、それを変えること。
 色々な面から物事を見てみること、感じてみること。

 習慣の奴隷にならないことです。自分自身の支配者にならなくてはならないのです。なかなか思うようにいきませんが、だからこそ、ヨガが必要なんですよね。今まで自分にとってなくてはならないと思ったことが万が一なくなってもそれを受け止め、ありのままを受け入れる心を育てるための教えがヨガなのだと思います。

 そして、ヨガに限らず、何を使うにしても、それを使うのは「自分」であって、誰でもない。自分自身を変えるのも、習慣の奴隷になるのも、すべて自分次第だということにまずは気付かなければならないのです。依存とはある意味「責任を転嫁する心」でもあると思うのです。心が安定しないのは自分自身の問題なのに「あれがないから・・・」と責任をそのものにあるかのように錯覚してしまう。
 
 ヨガは自分の体の癖、心の癖に自分で気付き、自分で修正する、本来私たち誰しもが持っている力を呼び覚ましてくれるツールだと思います。何かに頼らなくても、私たちは自分で自分をコントロール出来るのです。その力は備わっているのです。

 一度冷静に自己分析してみましょう。自分がどんな習慣の奴隷になっているか考えてみましょう。自分で始めたことは、自分でやめることも出来るのです。自分を変えることが出来るのは自分だけなのですから。
 合掌