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 コラム 

2011/4/5 「パンドラの箱」
 パンドラの箱の物語を知っていますか?

 レッスン前にお話してみたところ、多くの方が知らなかったのでコラムでも触れたいと思います。昨年から英語に毎日触れるようにしていて、色々な英語の教材を移動中などに聞くようにしているのですが、その中にパンドラの箱の物語を語っているCDがあって、実は私はそれではじめて知りました。
(英語の後に日本語が流れるので自分で理解できた訳ではありません、あしからず)

 私が知っている「パンドラの箱」という意味は何か手に負えないような悪の根源というか、悪の巣窟というか、そういったものをちょっとした軽い心で目覚めさせてしまった時に「パンドラの箱を開けてしまった!」というような使い方をする程度でした。

 ご存じないかたもいらっしゃるので、その物語をざっくり言いますと・・・、昔々、悲しみも苦しみも災害もない平和な時代が続いていました。プロメテウスとエピメテウスというタイタンの兄弟がいて、彼ら兄弟は生き物たちに贈り物をする役割を担っていました。すべての生き物に「速さ」「大きさ」「力」「翼」「殻」等を授けていったのですが、人間の番が来たときになって何も贈る物がなくなってしまったのです。そこでプロメテウスは他の生き物が持っていない「火」を人間に与えることを決めました。

 でも「火」は神々が大切にしている神聖なもので、お願いしてもきっと神々は分けてはくれないと考えたプロメテウスは、ある日、火を盗んで人間に与えたのです。それを知ったゼウスが怒り、プロメテウスを岩にはり付け、ワシがプロメテウスの肝臓を引き裂きましたが、彼らは不死不滅だったので肝臓は一晩で元に戻りました。翌日もワシが肝臓を引き裂きました。プロメテウスは苦しみましたが、死ぬことはありません。しばらくそんなことが続いたのち、ゼウスは神々を集め人間に大きな苦しみを与える女性を造ることを決めたのです。

 その女性は神々から美しさなど贈り物を与えられ「パンドラ」と名づけられました。美しいパンドラをひと目みてエピメテウスは心を奪われてしまいました。兄のプロメテウスからパンドラには惚れるなと言われていたのに、エピメテウスはこんな美しいものが悪を起こすなどとは信じられずにパンドラと結婚してしまったのです。しばらくは幸せな日が続きました。

 兄弟が大切に保管していた箱をパンドラが見つけるまで・・・。

 絶対に開けてはならないと言われていたのに、パンドラはどうしても気になって箱のことが頭から離れませんでした。そして、ある夜こっそり開けてしまいます。その箱には「悲しみ、災害、殺人、強姦、病気、戦争」などの邪悪で悲しいものが閉じこめられていたのでした。パンドラは急いでフタを閉めましたが間に合わず、最後に箱の中に「希望」が残っていて「私を出してください」と言ったので彼女はそうしました。

 それで、どんなに邪悪で不幸なことが起こっても人間達は希望を持つようになった・・・というのが話の結末です。ちなみにプロメテウスは「先に考える人」という意味でエピメテウスは「後で考える人」という意味だそうで、パンドラは「すべての贈り物」という意味があるそうです。

 このお話はギリシャ神話なのですが、調べてみたら諸説あるようで、箱自体も壺だという説もあるそうですし、結末もいろんな説があるみたいですし、箱は兄弟が守っていたものではなく、パンドラがゼウスから持たされたという説もあるみたいです。
 
 この世界に悲しみをもたらしたのは人間の女性だということに不満を感じますが(笑)、でも・・・よく出来た物語だと思います。神話は結構残酷で荒唐無稽な物語が多いですが、何か教訓めいたものを感じますよね。インドの神話もそうですが、どこの神話も神々が人間よりも人間くさいというか、かなり強調されて描かれているように思います。

 昔の人は人の曖昧さや未熟さや残忍さを神々の物語を通して伝え、客観的に見ようとしたのかもしれません。

 この物語のように私たち人類はいつの間にか「パンドラの箱」を開けてしまったのかもしれません。でも希望はつねにあるのです。どんな時も、99%だめでも、そのことを忘れずにいたいと思います。

 生きていれば心配なことは沢山あります。でもそれをひとつひとつ取り除くことは到底無理です。地震が起こるかも知れないと地震のない地域に引っ越しても、もしかしたら、台風がくるかもしれないし、交通事故に遭うかもしれないし、病気になってしまうかもしれない・・・。

 誰も皆、先のことはわかりません。不安な思いを募らせて身動きがとれずにいては前に進むことが出来ず、ただ時間だけが過ぎていくだけです。そして気付いた時に死しか目の前に残っていないとしたら・・・そんな人生を生きたいとは思わないですよね?

 未来でも過去でもなく「今ここ」を感じ、希望を持って進むしか道はないのだと思います。誰もが皆、訪れる死から逃れることは出来ません。限りある時間をどう過ごすか、何が本当の「豊かさ」なのか、個人個人が考える時に来ているのだと私は思います。  合掌