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 コラム 

2012/11/13 「ストレス」
 現代はストレス社会とよく言われますよね。簡単に何でもストレスで片付けてしまえるような社会の風潮ですが、実際にストレスって何なんでしょう・・・?

 ストレスって悪者のように思われていますが、それ自体はブログに述べたトラウマ同様に悪いものではないのです。ストレスは成長するチャンスを与えてくれるものだと考えられたら、少しは気持ちが楽になりませんか?

 そもそも、ストレスは「こんな状況になるべきではない」という気持ちから生じるものだそう。自分が想定していた範囲外の出来事が起きたときに、人は誰でもストレスを感じてしまうものだということです。それが自分にとってプラスになることでも、期待に応えようと必要以上に緊張し、ストレスを感じてしまうこともありますし、自分にとってマイナスだと思うことなら尚更、起こっていることに抵抗し、精神的に反発し、自分の現状から目を背けるようになります。一時的なことなら、そのまま自然に解消していくこともありますが、継続して続いていくと、現状を直視したくないから、現実には起こっていないことを切望し、そして現状に満足できなくなり、今の自分がいるところ以外のところにいたいという思いが生まれます。

 仕事でストレスを抱えている人は沢山いらっしゃるでしょう。ほとんどの人が現在の職場に満足して仕事をしていないと思います。「今の職場でいいのか・・・」「自分はこんな仕事をするために就職したのではない」等という思いに心が占拠されている人も沢山いらっしゃることでしょう。

 そんな思いで仕事をすれば、上手くいくものもいかなくなるのは当然ですよね。上手くいかないことで更に「やっぱり、自分には向いていない」とか「もっといい仕事があるのではないか」という不満と不安に囚われてしまうのです。そしてどこか別のところなら、現状を変えることが出来るのではないかと思い始め、心が今ここにないまま仕事している人が多いのではないでしょうか?

 ストレスを抱える多くの人は「完璧主義」だと思います。そしてその完璧は自分が思うものではなく、他人の評価を基準にしている場合が多いと思うのです。だから、人の目を気にして、人から求められる役割を演じてしまいます。そのこと自体が大きなストレスになっていて、心の奥底では「本当の自分はこんなはずじゃない」と思っているのですから、常に現状に満足することが出来ませんし、人からどう評価されているか不安でたまらないのです。一生懸命頑張っても思ったような評価が得られなかったり、期待に添えないと思ったときに、やる気を失ったり、目標を失ったり、頑張りすぎたりして、心と身体が分裂していくのだと思います。

 ストレスの原因の一番は人間関係ではないでしょうか?部下、上司、同僚、家族、友達、恋人・・・。人間関係で一度も悩んだことがない人はこの世にいないと思います。私もかつて悩みました。嫌いな人もいたし、嫌われたこともあります。今も嫌いな人はいます。嫌いな人、苦手な人は「自分を成長させてくれる人」だと思うようにしてから、少し心が軽くなったのですが、それでもどこか何か違うのではないか、と心の奥で反発する自分がいました。でも、最近、なぜなのか気付いたのです。

 とあるブログに書かれていたのですが、私たちは「人を嫌うことは悪いこと」だと思っています。日本人の気質なのか、道徳の授業で教わったのか、なんなのか、暗黙の了解というか、知らない間に、そう思っているところがあると思うのです。だから、自分を嫌う人を許せないという思いと同様に、他人を嫌っている自分に対してもどこかで嫌悪感を抱いています。嫌うことは悪いことだから、なんとか相手を悪者にして、自分が相手を嫌うのは相手のせいだと、正当化しようとしてしまうのです。
 
 私も、自分が苦手だったり、嫌いだと思う人に対して周りの人も同じように感じていることを確認すると、やっぱり自分の考えは間違っていなかったのだと安心していました。それで余計に相手の嫌いなところばかりみるようになって、嫌う気持ちに拍車がかかってました。特に女子は集まれば結束して、その場にいない人の悪口大会になる・・・なんて、よくある風景ですよね。心のどこかで「人を嫌うのは悪いこと」だという思いがあったから、自分を正当化しようとする心理が働いているなんて、誰も気付いていないと思いますけど・・・。

 人を好きだと思う感情があるということは、嫌いだという感情もあるということ。自然なことなのです。

 それに、人を嫌いだと思うことはあくまでも「自分が気にいらない」という主観の問題で、相手が絶対的に悪いというわけではないんです。苦手だなと思う人の言動をすべて否定してしまいがちですが、自分がその人のある一面が苦手なだけで、それは自分の捉え方次第なのだと気付けたら、全人格を否定しようとせず、きっと良いところは良いところで認められるようになると思うのです。

 そして、自分を嫌いだと思う人がいても、それは相手の主観の問題なのだと思えたらいいのですが、基本そんなことがあってはならないと思っているので、その事実を受け入れられず、苦しんでしまうのです。時には、激しくその相手を憎んでしまうこともあります。どうして人がストーカーになってしまうのか、なぜ復習したくなるのか、戦争が起きるのか、なんとなくわかったような気がします。根底には自分の感情に対する嫌悪感、罪悪感を感じないように、自分が正しいと相手に、社会に、認めさせたいために起こることなんだと思うのです。

 人と関わる以上は嫌われることもあるし、自分が嫌うこともあることを覚悟していなければならないんです。マイナスの感情も自分の一部だと認めて、うまく制御していかなくてはならないのです。自分が嫌いだと思う人の全人格を否定するのはやめて、「なぜ私はこの人が苦手だと思うのだろう」とか「なぜこの人はこうしてしまうのだろう?」という風に思えたら、上手く対処できるかもしれないし、相手の良いところが見えてくるかもしれないし、もしかしたら、自分にも同じようなところがあるということに気付けるかもしれません。

 結局、自分の心の姿勢次第だということです。

 最近、ちょっと考えていたことがあったのですが、自分が一度出した答えを納得させようとしても、処理しきれない感情があって、結局毎日そのことについて考えている自分がいました。このままぐるぐる悩み続けているなら、いっそのこと、自分の考え方を変えてしまえばいい、自分が損しないようにではなく、みんなが損しないように考えよう・・・と思い、結論が出た途端、心がすーーっと軽くなりました。自分が得する考えを正当化しようとして、苦しんでいたのだと気付くことが出来ました。自分の心の姿勢を整えたとき、嫌悪感や罪悪感がすーーっと抜けていったのです。

 とりあえず、結果がどうであれ、正面から向き合うということは、潔い、心地よい感覚が伴うものだし、たとえ失敗したとしても、そこから学ぼうとする後悔のないものなのだと思います。

 少しずつではありますが、43歳にして・・・成長しているなぁと感じる今日この頃です 笑。合掌