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 コラム 

2012/2/20 「パイの理論」
 別にファンでもなんでもないですが、先日ホイットニー・ヒューストンが48才という若さで亡くなったことを知り驚きました。私と6才しか違わないんだ~ということのほうが驚きましたけど。大御所って感じだったから、自分の年齢を忘れて、もっと上のような気がしていたんですよね。
 
 地位や名誉を取得しても人は幸せになれないんだなぁ・・・というのをマイケル・ジャクソンが亡くなった時にも思いましたが、地位や名誉があったからこそ、人はそれを失うことを恐れ、苦しむのかもしれません。ああ、私は平凡な人生で良かった~! 笑

 幸福は他人からもたらされると考えているから苦しむのだと思います。褒められたら嬉しいし、人より自分が勝っていると感じた時、どんな人だって嬉しいでしょう。それは否定しませんし、悪いことだとは思いません。でも、それが幸せなのだと勘違いしてしまうと、得られなかった時、自分は不幸だと感じてしまいます。例え幸せを感じたとしてもそれをまた失うのではないかと不安を感じ、そしてそれが得られない不安を常に何かで埋めようとしてしまうのです。

 例えば食べることで、お酒で、ショッピングなど物質を得ることで。はたまた人をいじめることで人よりも自分が優位だと誇示しようとしてしまったり・・・。最悪な埋め方は薬などで自らを破壊してしまうことだと思います。さらに、最終的には自分を受け入れることが出来ず、自殺することも。

 他人から幸せがもたらされると考えている限り、永遠に心が満たされることはありません

 以前読んだ本に「パイの理論」ということが書かれていました。すべてのものは供給が限られていて、物質的にも精神的にも、この世は“パイの奪い合い”だという考えのことです。誰かがひとつ取れば、誰かがひとつ失う。自分が欲しい一切れを誰かが取ってしまえば、自分はあぶれてしまう。自分が成功すると誰かが失敗する。誰かが金持ちになれば、他の誰かが貧乏人になる。

 このようなものの見方をしていると、自分の一切れにしがみつくしかなくなり、同時にいつも欠乏感と不安感にさいなまれるようになります。もっているものは人に取られないように守らなくてはならないし、より多くを得ようとすれば人から奪わなくてはならないと考えるようになってしまいます。パイ理論を信じていると、無意識のうちにいつもプレッシャーを感じ、ストレスがたまり、嫉妬心や嫌悪感がなくならないのです。

 ヨガの有名な先生でも、生徒さんの取り合いをするかのように別のスタジオの悪口を言ったり、他の流派の悪口を言ったりする人がいますが、パイ理論を信じているということですよね。世の中の流れがそうだから、仕方のないことだと思いますが、嘆かわしいことです。

 そういう私もパイ理論に惑わされていた一人です。いまだに物質的にはそうなのかな?と思っているところはあります。地球の面積は限られているし、資源も限られていると思っていますし、お金だって全員が億万長者になったとしたら、お金の価値が下がり、新たな上の通貨が作られるだけのことですし。

 でも、最近は物質的にはある程度限られていても、精神的には制限はないと思うようになりました。

 自分のことを決めつけ「こうに違いない」と制限をすることは、自分の可能性を自らつんでしまうことです。だまっていても誰も自分を自動的に高めてはくれないし、自分で考え行動するしかありません。そしてどのように自分で考え行動するかということが自分の人生を幸福に満ちたものにも、不安や不満を感じながら生きて行くかということにも影響を及ぼすのです。というか、どのように日々考え行動しているかということが全てだと言っても過言ではないでしょう。

 自分が思うこと、口にすることが現実となります。「私は結局こういう人間なの」といつも言っている人は自らが招いているのだということに気が付かなくてはなりません。まずは自己否定、自己批判をしないことが幸福への近道だと思います。結局は自分だけが頼りなのですから。

 自分だけを頼りにするということはなんだか人を信頼もせず、一匹オオカミみたいで冷たい人間のような気がしてしまいますが、自分を信じていない人間が人を信じることは出来ないし、自分を愛していない人間は人も愛せないでしょう。

 多くの人は自分を信じられず、他人の判断に身を委ねてしまいます。人からどう思われ、どう扱われるかによって自分を「そういう人間」だと決めつけてしまうのです。だから人からどう思われるか気になり、のびのびとした行動が出来ず、間違いを犯したり、誰かの期待にかなうようにしなくてはとプレッシャーを感じてしまいます。そして常に自分は間違っていて、人から必要とされていないのではないかと不安に感じてしまうのです。

 かつての私は自分のことに自信がありませんでした。人から悪く思われたくないと思って、上手く行動することが出来ずに間違いを犯して自己嫌悪に陥ったり、期待に応えなくてはいけないと必要以上にプレッシャーを感じていました。人からそれほど期待されていないのだと気付くと、急にやる気を失ったりしました。

 人からどう思われ、扱われるかを気にして生きていたように思います。そう思いながらも心のどこかで無理して好かれるなんて嫌だし、媚びを売るなんて出来ないから嫌われてもいいんだ・・・と予防線も張っていました。

 誰かが自分以外の人の悪口を言えば嬉しく思ったり、自分じゃないことに安心したり、自分以外の人を褒めたりするのを聞くと正直なところ面白くありませんでした。性格悪いなぁ~って、正直思います。ほんと。今も良いとは思えませんが・・・あ!いえいえ、今は良い性格だと思っております、ハイ!笑

 こうやって、かつての自分を客観的に見ることが出来るのは成長した証だなって思っています。過去より今の自分が好きなら、それでいいんじゃないかな?って思います。少なくとも「パイの理論」的な考えは違うと知っていますから。

 最後に3月にトイレに飾る格言を紹介します。

 「心は、それ自身がひそかに抱いているものを引きよせる」 ジェームズ・アレン
 
  心にはつねに良い自己イメージを持っていたいものですね。 合掌