Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2012/6/6 「現実を見る」
 お久しぶりのコラムです。1ヶ月以上あいてしまいました。ブログにもupしたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、飼い猫の調子が日に日に悪くなって行くため、なんだかそういう気分になれなかったんです。

 もうすぐ17才になるコハク。時々お客様をお迎えしたり、見送ったり、可愛らしい姿を皆さんに披露しておりました。1週間ぐらい前にはついに餌をまったく食べなくなり、一度は病院に連れていった方が良いだろうと夫と話し合い、病院に連れて行ったところ、やはり腎不全だと診断されました。それも末期の状態でした。

 去年亡くなったサファイアは急に具合が悪くなって3日程で亡くなってしまいましたが、コハクは徐々に弱っていく姿を見なければならないようです。辛いですが目を背けずに、しっかりと日々衰弱していく姿を見守ってあげなくちゃいけないなって思っています。

 一昨日ぐらいまでは、自力で水を飲み、トイレも、階段もゆっくりではありますが上り下りしていましたが、昨日から水も飲みにくそうだし、階段も途中で力尽きてしまいますし、トイレも時々別のところでしてしまうようになりました。これからきっと寝たきりのような状態になるのだと思いますが、出来るだけ清潔にして、心地よく過ごせるようにしてあげたいと思います。ペット用のおむつをつけている姿が痛ましいやら、なんだか愛らしいやらで、複雑な気持ちです。

 でも、自宅で仕事をしていて、本当に良かった・・・。なるべく多くの時間そばにいてあげられますから。

 ご飯が美味しく食べられること、ちゃんと眠れること、仕事があること、家族がいること、猫を飼っていること。当たり前のことがこうやって考えてみると、すべて当たり前じゃないんだなって思います。すべてが永遠に続くわけではなく、必ず変化していくのだということ・・・このことの方が当たり前のことなのに、自分に都合の良いことだけ永遠に続いて欲しいと思ってしまうのが、人間の我が儘なのでしょう。人間以外の動物や事象は当たり前に変化を受け入れているのに。

 先日コハクを夫に見て貰って、ちょっとだけ後ろめたい気持ちで参加したワークショップで、心に響く言葉に出会いました。何か問題から逃げようとしているとき、目を背けようとしているときは「現実を見ていない」のだと。
 
 ドキっとしました。その日、コハクのことではなかったのですが、ちょっとショックなことがあって、自分の中でそのことをどう処理しようかと悶々としていたんです。それがすっと霧が晴れたようになりました。「ああ、そうか、色々と考えたり、悩んだりしている時は現実を観ていないからだ」と。

 例えば・・・ですが、自分が苦手な人や嫌いな人と上手く接することが出来ない時、心の中で嫌だな~とか、どこかにいなくならないかな・・・とか、どうしてこの人はこういうことしか言えないのだろう?とか、自分は悪くないとか・・・色々思ってますよね?

 でも、現実は「嫌い、もしくは嫌われている人と一緒にいる時間が存在する」というだけのこと。それに自分の過去の経験からこの人はこういう人だとか、前はこうだったから今回もそうに違いないとか、色々と勝手に思いこんで現実ではない幻を見ているのだと思うのです。だって、実際その人や出来事が自分を傷つけたのでしょうか?“傷つけられたと思った”・・・だけではないですか?そしてそういう時は自分からも目を背けているのだと思います。

 実は嫌いな人は自分の嫌いな部分を反映しているのかもしれない。そのことに向きあうべきなのに、そのことに気付かないふりをして、目を背けているのかもしれない。もしくは、その人に自分が嫌われていることを認めるのが嫌だからなのかも。

 外の現象は自分の心の反映なのです。人やものから目を背けているとき、実は自分の心からも目を背けているのです。

 私のショックなことは、ある人から言われた言葉と態度によって自分が否定されたかのように感じたことでしたが、現実は「その人がそう言った、そういう態度をとった」ということであり、それを否定されたように感じるのは自分の思い込みであり、実際はどうなのかわからないということ。

 もしかしたら、実際に否定していたのかもしれませんが、本人にも自覚がないかもしれませんし、そんなことはどうでもいいんですよね。自分が否定されたように感じた・・・ということをちゃんと認めて、否定したのではなく、そう感じたという事実を認めるだけで、随分と気持ちが楽になったのです。またその人と接することがあったら、そういう思い込みは捨てて、自然に接していきたいなって思うようになりました。
 
 それまでは、また会うことがあったら面倒だな・・・。なるべく会いたくないなって思っていましたが、それは自分がまた傷つくかもしれない恐れからなのだと気付きました。今はそうなったとしても、それはまたしても自分の思い込みなのだから、別にどうってことないじゃない?って思っています。

 もちろん、すぐに現実を見られるようになる訳でもないし、きっと色々と悩む時もあると思うのです。でも、その時に「あ、今、現実を見てない」とすぐに気づけるようになれば、その後の切り替えが早くなるはずです。生きている限り、人は悩み迷うもの。でも現実を見るようになれば、その悩みが単なる幻想からくる苦しみなのか、本当にどうにかしなければならない事柄なのか分かるようになるはずです。

 だから、ちょっと前まではコハクの姿を見て、哀しく思ったり、泣けて来たり、もっと早く病院に連れて行ったらこんな風にはならなかったのだろうか?とか、後悔したりしましたが、現実は「コハクが死に向かっている」ということなのだと、認識してから、心が穏やかになりました。乱れなくなりました。来る最期の時まで、優しい気持ちで見守ってあげようという覚悟が出来ました。可哀想という思いよりも「愛おしい」と思って見るようになりました。

 今、何かに悩んでいる人はアレコレ想像で考えたことに囚われずに「現実を見る」ことを思い出してください。そのことやその人が今まさに自分を苦しめようとしているのか、それとも、それは思い込みによって生まれている幻想なのか・・・。そのことに気付くだけで良いのです。それを変えようとする必要はありません。気付くだけで、無理に答えを見つけようとしなくても、必要な時に答えは見つかります。

 現実を見て、それを受け入れること・・・それがヨガの教えのひとつです。 合掌