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 コラム 

2012/8/21 「重いと言葉と身体」
 前に読んだ本をもう一度読むことはたまにあるのですが、今回は3年ぐらいまえに買った「思いと言葉と身体は密接につながっている」という本を読み返してみました。

 思いと言葉と身体は密接に繋がっています。いつもネガティブなことを思えば、それが言葉として出て、そして、行動もネガティブになるのです。逆も然り。今の自分は過去の自分が思ってきたこと、口にしてきたこと、行動してきたことの積み重ねなのです。

 ヨガと出会う前の自分は何でも言い訳で片付けていました。身体が硬いのは生まれつきだから仕方がない、やったってどうせ無駄。仕事でも何でも、誰かと比べて自分を卑下したり、自分より格下だと思う相手に優越感を感じたりすることで、自分の価値観を図っていました。だから常に不安で不満だらけで、不安定でした。

 今にして思えば、だから、そう思っていたから、そういう人生になっていたし、身体も硬かったのだと思います。恋愛でうまくいかなかったことも、人に騙されていたことも、意地悪されたことも、意地悪したことも、自分の中にそういう嫌な自分が存在していたからなのだと、今になってわかります。でも、その当時はわからず、すべて何かのせいにしていました。自分と向き合うことなんて、もちろん皆無でした。周りの評価で自分を推し量って一喜一憂して、その場しのぎで生きていたように思います。

 今回読み返した本にはこんなことが書かれていました。「言語が現実を生むのである」。そして、言語で行う行為は5種類しかないのだと。それは《依頼》・《約束》・《宣言》・《評価》・《断言》の5種類です。それぞれを説明するのはコラムがめちゃくちゃ長くなってしまいますので、割愛しますが、5種類のシンプルな行為を私たちは「過去の歴史に基づいて出来ることをしているに過ぎない」のだそうです。でも、間違った行為は時間はかかるけれど、学習によって変えることが出来ると書いてありました。

 私はヨガを通じて、苦手だと思うものも、そう思い込まずに挑戦してみたり、自分で自分の限界を決めないように努めてきたつもりです。人に何かを教えるなんて私には向いていないと思っていたけれど、今こうやってヨガを指導しているし、英語だって苦手で日本人なのだから必要ないって思っていたけれど、勉強してみたい、話せるようになってみたいと思うようになり、今も勉強を続けています。何よりも身体が硬かった私がヨガの指導をしていること自体、昔の私がタイムスリップして来たら、すごく驚くと思います。

 思い込みに囚われたまま5種類の行為をするのと、それに気づいて行為をするのとでは、たぶん、結果が同じであっても、そこまでの過程が違うはずです。それによって今後の行動や言葉も変わってくるはずです。そしておのずと身体にも変化が起こってくるのだと思います。わかったからといって、すぐに変われないものですが、気づき、実践をし、また修正するという行為を繰り返しているうちに、きっと少しずつではありますが、どんな人も確実に変わっていけると思います。


 本には、『思考とは第一に、ある世界を見せる。落ち込んでいるときはこの世は絶望的に見えるし、不安なときは要求をつきつける怖い場所に見え、怒っているときは、敵意に満ちた冷たい場所として映る。第二に思考は世界のありのままの姿を反映しているかのような思い違いをさせる。それゆえ人は人生に対する責任とコントロールを放棄してしまったりする。第三に思考が作用している現場でそれを知覚できるようになるまでは、思考が人生をコントロールする。うまく隠れて』・・・。と書いてありました。

 確かに、時として私たちは見えている世界がすべて正しいと思ってしまいます。仕事でうまくいかないときは、日常生活もうまくいかないように見えるし、何もかもが自分を否定しているかのように感じられることもあります。けれど、仕事も私生活もうまくいっている人から見れば、世の中は自分を歓迎してくれ、幸せな世界に見えるものです。世界は変わっていないのに、見る人の考え方ひとつでまったく違う世界に映り、それがありのままの姿だと思ってしまうのです。そして、自分がそのように見ている世界に翻弄されてしまうのです。

 私たちは自分で思考をコントロールしているかのように思っているけれど、実は思考が各自をコントロールしているのです。そのことに気づかなければ、まず始まらない。私もずっと自分で自分の考えをコントロールしていると思っていました。けれど、多くの場合、思考に主導権を握られていました。

 例えば私がずっと思っていた「身体が生まれつきかたい」と思っていたことも「誰かがそう言ったの?本当に生まれた時すでに硬かったの?病院にいって診断されたの?」と問い詰めてみると、そんな事実はなかったし、身体が硬いと思っていたのは、体操の選手みたいに出来ないし、前屈で床に手がつかないから・・・という漠然としたことなのに、なぜか「生まれつきの体質」だと思い込み、自分は何をしても無駄だと思っていたということ。たぶん、最初はそう思ったほうが楽だったからそう思っていて、それがいつの間にか原因として自分の中で確定されてしまっていたということだと思います。そして、その考えが真実だと思い込んでしまっていたのです。

 また例えば・・・自分は「○○な人なの」という言葉。「朝が弱い」ということだって、夜遅くまで起きているから朝早く起きられないだけで、早く寝るように改善していったら朝が強い人になるかもしれない。少なくとも「朝が強い」人間になれなくても、「朝が弱い」という人ではなくなるかもしれない。

 あるいは自分のストレス解消方法は「美味しいものを食べること」だと思い込んでいるだけかもしれない。単にストレスから逃げるための口実でしかなくって、本当に身体がその時「美味しいもの」を欲求しているかどうかはわからない。もしかしたらシャワーを浴びるだけでスッキリするのかもしれないし、寝たり、本を読んだり、テレビを見れば解消されるのかもしれない。こう考えてみると、私たちは沢山の思考に左右されて過ごしていると思いませんか?正しくないかもしれないのに、過去の歴史に基づいて、出来ることをしているだけ・・・ですよね?特に大人になればなるほど、それは確固たるものになってしまう。

 自分の限界を自分で決めて、自分の世界を狭めてしまっていること、きっと沢山あると思います。私も油断をすると「今まで駄目だったんだから、今回も駄目に違いない」という思考にコントロールされそうになります。

 以前、テレビで高年齢なのに現役でバリバリ一線で働いている人の特集をしていて、その方たち全てに共通して言えることは、今なお「挑戦している」ということでした。自分の限界を決めず、年齢のせいにせず、出来る限り挑戦している姿勢が印象的でした。周りはきっと「もう十分なんだから、無理することない」とか「もう引退したら?」とか色々言うでしょうし、自分自身もきっと迷うことがあると思うのですが、思考にコントロールされずに自分自身をコントロールしていらっしゃるのだと思いました。

 ひとつでも多く思い込みを発見し、気づき、そこから自由になり、自分の世界を広げる・・・。今後も自分と向き合って、自分の悪い思い込みに気づき、ひとつずつ改善していきたいと思います。簡単ではありませんが、死ぬまで挑戦し続ける人でいたいと思います。 合掌