Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2013/12/2  「結果はコントロールできない」
 
 ヨガジャーナルの最新号に「マンガで学ぶバガヴァットギーター」という新連載がはじまっていて、なかなかわかりやすく教えが説明されていました。バガヴァットギーターって何?と知らない方に簡単に説明しますと、世界3大叙事詩のひとつとされる「マハーバーラタ」の一部で、聖書の次に発行部数の多い経典なんだそう。舞台は5000年前、アルジュナという戦士と神クリシュナの哲学的宗教問答の物語です。今までに2回ほど最後まで読んでみましたが、なかなか理解しにくくて・・・挫折してました。

 バガヴァットギーターにはヨガの教えが多く説かれていますが、そのひとつに「執着せずに、行為のみに集中し、結果を手放す」ということが書かれています。今回はそのことについてわかりやすく説明されていました。マンガを読むとバカになるというのは間違い・・・ということをこの間ある番組で茂木先生が説明されていましたが、本当にマンガで読めば文字だけではない情報が脳にインプットされるのか、理解力が更にアップすると思います。もちろん、小説は小説で良いところは沢山あるし、小説も好きですけれど、やっぱり、難しい内容はマンガのほうが断然わかりやすいですね。

 説明することで更に自分の理解度が高まるので、今回はそのマンガの内容をコラムでまとめてみたいと思います。

 マンガの中では突然海外勤務を命じられた主人公が不安と恐れを感じ悩んでいるところに、教えに精通している先輩が登場し、諭していくという物語になっています。本のバガヴァットギーターでは戦士アルジュナが敵に身内や恩師がいることを知り、戦士としての義務を放棄し、戦いたくないと泣き崩れ、クリシュナに教えを請うのですが、クリシュナは戦士の義務は戦うことだとアルジュナにいうので、戦争反対の私には理解しにくかったんですよね。

 でも日本だって、戦争をしなくなってからまだ70年経ってないわけで、戦士が職業であることは普通というか、多くの人の義務で、違和感を感じなかったのかもしれないですね。戦争反対の平和な日本に住んでいる私にとっては、敵に身内がいても戦う義務を果たせという教えがどうにも腑に落ちなくて・・・理解に苦しんだのですが、マンガでは会社が舞台になっていて現代風にアレンジされているのでわかりやすかったです。最初に輪廻転生のことを説明していますが、この辺りは長くなるし宗教っぽくなるので割愛するとして・・・自分が大きなプロジェクトを任された不安を抱える主人公に対し、先輩はクリシュナの教えである言葉を言うのです。

 「定められた義務を行なう権利はあるが、行為の結果についてはどうする資格もない。成功と失敗に関するあらゆる執着を捨てよ

 なるほど、誰もがみな与えられた仕事をする権利はあるけれど、結果を自分の思い描いた通りには出来ないですよね。わかってはいるけれど、多くの人はここを間違っているように思います。どうにもならないのに結果をどうにかして自分の望むとおりに(それ以上に)しようと躍起になり、本質を見失っているように思います。もちろん、私も度々見失いますが・・・。

 例えばリンゴの苗があったとして、いくつの実がなるかわからない。けれど、わからないからといって、木を植えなかったり、世話をしなかったりするだろうか?そんなことをしたら何も残らない。だから、植える前から色々と考えたり結果を怖れる必要もない。だって、何個実がなるかなんて私たちにはコントロールできないのだから。とマンガでは説明しています。このたとえわかりやすくないですか?

 私もかつて、一人でヨガ教室をやっていくことに自信もないし不安を感じてなかなか踏ん切りがつかない時期がありました。でもやってみる前から悩んでも仕方ないし、もし一人でも生徒さんがいたら続けていけばいいし、生活するほど稼げなければバイトでもなんでもやっていけばいい、そう決めて7年前、清水の舞台から飛び降りてみたのでした。

 もし、私がどのくらい生徒さんが集まらなければ生活できないとか、駄目になったら格好悪いとか、リンゴの苗を植えるまえから何個実がなるかということばかりに気をとられていたら、もしかしたらいまだに教室をオープンする決心がついていないかもしれないと思うのです。私はヨガが好きだったから、ただ指導することに集中していて、お金を稼ごうとか沢山の生徒さんを集めようとかあまり気にしませんでしたし、一人や二人からスタートするものだと期待せずにいたことが結果的に良かったんだと今にして思います。今も、人数が増えようと減ろうと自分のやりたいこと伝えたいことに集中しようという気持は変わりません。

 結果を思い通りにしようとしたり、わからない未来について思い煩うよりも、私たちが出来ることといえば、その前段階でベストを尽くすということなのです。人事を尽くして天命を待つ・・・この言葉が本当の意味を表していると思うのです。自分が出来ることを精一杯して、出た結果はありのままを受け取る。

 私も含めて多くの人は早く結果を求めたがり、近道をしようとして躍起になっています。けれど、たっぷり時間をかけて、大切に育むものもあっていいのだと思うのです。私はヨガを始めてから「待つ」ということを学びました。自分の身体と心と向き合い、少しずつではありますが、変化していくことに気づくことが出来るようになったとき、早急に答えを得ることだけが一番ではないと思えるようになりました。

 自分が安心できないことや、窮屈に感じることは無理にやらないようにし、答えがすぐに出なくても、楽しいこと、心地よいことは信じて続けるようにしています。まだまだ身体も心も頑固で思い込みも激しいところは相変わらずの私なのですが、悩む・・・という時間が以前よりなくなったと思うのです。失敗も成功も行動したからこそ起こる結果。どんな結果でも「しないよりはマシ」だと思うから、悩むより先に動いているのかもしれません。間違うことのない人間なんてこの世にいないのだし、失敗を怖れるより、何もしないことのほうが私には怖いことになりました。

 以前は出来ることなら面倒なことは避けて、楽なこと、人から評価されるようなことのみ率先してやってきたのですが、振り返ってみると、自分が面倒だなって思っていることをやってみた時に道は拓けていたと思います。あの時こうしていなかったら、今こうしていられなかった・・・そう思えることばかりなのです。だからこそ、「あ、面倒だな、後でいっか・・・」と思ったときこそ、チャンスだと今は思って勇気を振り絞って前進するようにしています。

 せっかく、この世に生を受けたのだから、結果を気にせずに、今の人生を謳歌していきたいと思うのです。合掌