Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2013/7/18  「6周年を迎えました」
 
 7月2日でチャンドリカは6周年を迎えることが出来ました。7年目に突入です!毎回思いますが、早かったような、長かったような・・・。

 ヨガを指導するという仕事をしていて常々思うのは、「人を変えたい」という風に思ってはいけないということ。「レッスン受けるときにしかヨガが出来ない」という方が多くいらっしゃるのですが、そういう言葉を聞くとつい「毎日ヨガが出来るようになって欲しい」と思ってしまう自分がいます。このようなことはヨガに限らず、多くの人が知らず知らずのうちにやってしまいがちなことだとは思います。例えば、職場で家庭で友だちに対して、自分が良いと思って疑わないことに関しては「やればいいのに・・・」と思ってしまいますよね。

 私はヨガを指導することを仕事にしているし、自分が毎日ヨガを続けていることで、多くの「良いこと」があったから「毎日すればいいのに」と思うのですが、生徒さんのためにという気持ちよりもむしろ、自分がやっているヨガを認めて欲しい、大切にして欲しいという気持ちの方が大きく、そして自分が正しいということを認めさせたい・・・という思いが隠れていると思うのです。

 私はヨガを毎日することで変わりましたが、それが果たしてすべての人にとって必要なことなのだろうか?ということを最近思うのです。人それぞれ、生活のスタイルも価値観も違いますし・・・。ヨガをしようという心の余裕がない方も、したくても時間的余裕がない方も、もちろんいらっしゃいますから。

 それにたとえヨガを始めてみても「自分には合っていない」とか、「ヨガが気持ちいいとは思えない」とやめてしまう方も実際いらっしゃいます。身体が健康になるためなら、ヨガ以外にも方法は沢山ありますしね・・・。

 私はヨガを教えているというだけで、偉くもないし、優れているわけでも、医師でも教師でもないのだし、何ら優位に立つことは何もないのに、続けている自分は偉くて、出来ない人は努力が足りないのだ・・・と、心のどこかで思ってしまいます。自分が正しいということを証明したいという気持ちになってしまうのです。裏を返せば自分に自信が感じられず不安があって、外から評価を得て安心したいのかもしれないと思います。そんな評価を得たとしても、いつまで続くかわからないのに・・・

 もし、私がヨガをすることで変わったのなら、私が公言しなくても、勧めなくても「どうやっているんだろう?」と興味を持つ人が出てくるはず。実は、一番最初のヨガのレッスンを始めることになったキッカケは、ある人が私がどんどん変わっていくのに気づき、『何か特別なことを始めたのか?』と私に直接ではなく、周りの人に聞いて、そして私がヨガの指導員になる勉強をしていると知って「レッスンをしてくれないか?」と声をかけて頂いたことが、実は始めての仕事だったのです。

 私が押し付けなくても、やる人はやるし、やらない人はやらない。それは私が相手を変える力があるとかないとかの問題ではないのだ。そう心から思えるようになりました。だから例えヨガをやめていく人がいても残念ではありますが、その人の問題だと思うことで自分を責めるのをやめました。通う気のない人をやる気にさせることよりも、通い続けてくださる方に沢山伝えることにエネルギーを注いだほうがいい、そう思うからです。

 それに、このサロンがオープンしてからずっと続けてくださっている方の多くは、毎日ヨガが出来ないけれど、それでいいと私が受け入れてくれるから続けていられるとおっしゃってくださっていますし、そういうヨガ教室があってもいいかな?と思うのです。何もストイックにヨガを追及しなくてもいいし、そこまでヨガに興味があったら、私のヨガには通ってくださらないかも(笑)

 ヨガがすべての不調に効くと魔法のように思っていた最初の頃とは違い、ヨガだけでは対処できないことが沢山あるということに気づくようになり、少し視野を広くもつようになってきたように思います。もっともっと、カラダと心の知識を深めて、病気とカラダの歪みや痛みとの関連なども学び、自分なりにヨガと結びつけて、自分なりのヨガを追求したいと思っています。

 人は変えられないけれど、自分の心の持ち方を変えることはできる。どんなにマイナスのこともきっとその先にある落とし穴に気づくために置かれた小石なのだとそう思うようにしています。蹴躓いてちょっと下を向いたとしても、それによって落とし穴に気づくことが出来たら、たとえ落ち込んでもそれも必然だったのだと思うことが出来ますよね。

 そしてヨガの教えの一つである「知足」。足ることを知る。今の自分で満足するとか、分相応で満足する・・・という風に書かれている文献も多くあるけれど、「自分に必要なことだけ手に入り、不要なものが出て行くことを怖れない」ということだと私なりに解釈しています。一度手に入ったものを失うのは怖いけれど、失わなければ新たに手に入れることはできないのだし、たとえ物質は失っても「経験」は得ているのだから物事は変化しているだけで、実際には何も失っているわけではないのだと思えてきました。

 6年間という時間は失ったけれど、経験を得ることはできましたし・・・

 これからも私はヨガを続けて、そして伝えていくだけ。私に出来ることを背伸びせずに精一杯やっていこうと思います。拒絶されても腐らず、称賛されても自惚れることなく・・・今後も1年、1年、時を重ねて経験を積み重ねていきたいです。合掌