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 コラム 

2013/8/20  「悩み」

 「悩みとは、自分の思い通りにしようとする我侭のことである

 最近見たドラマの中でとあるお寺が舞台となっていて、そのお寺の門のところに掲示されていた言葉です。たぶん、現実にあるお寺を撮影場所にしていたので、ドラマ用に用意されていたのではなく、普段から掲示してあった格言だと思いますが、一瞬しか映らなかったのに心をワシ掴みにされてしまいました。心のメモに書きとめたので、本当にこの通りの言葉だったかどうか定かではありませんが、意味はあっていると思います。

 私自身は最近悩みという悩みがなくなってきていて、すごく生きていくのが楽になってきていて、それが何なのか、わからなかったのですが、この言葉を見たときに「ああ、そうか、最近自分の思い通りにしようとしてないからか・・・」と気づいたのです。

 多くの方が抱える悩みは「将来が不安」とか「子供が将来どんな大人になるのか心配」とか「家族と上手くいかない」「仕事がつらい」「仕事が面白くない」「上司と上手くいかない」「部下をどう扱えばいいかわからない」など。それもすべて「自分の思い通りにしようとしている」ことが原因だと気づけたら、悩みは悩みではなくなると思うのです。

 結局・・・損、得で考えるから悩むのかもしれませんね。失敗したらどうしようとか、自分が能力のない人間だと周囲に思われたらどうしようとか、嫌われたくない、負けたくない、自分は正しい・・・そういう思いが根底にあって、自分の期待通りに物事が運ばないことはイコール「損」だと思ってしまう。

 自分が得するための努力はするけれど、損するならしたくない・・・という風になりがちです。成功しなければすべて汚点となり、そのことを隠そうとしたり誤魔化したりすることになるし、成功すればしたで、それを失うことが怖くなり、悩んだりしてしまうのだと思います。

 かつての私は常に「自分が得するための努力」をしていました。だから、その手柄を誰かに取られるのは嫌だったし、誰かがミスをすれば自分は間違っていないということを一生懸命主張したりしました。人が見ているという意識があるから頑張っていたし、間違ってもバレなければいいのだと思ったときもありました。

 例えば小学校の頃、スキー授業でストックを忘れたことに家に帰ってから気づき、次の日みんなの前で「このストックを忘れたのは誰だ?」と言われて名乗るのが恥ずかしくて、仮病で休んだことがありました。人の目がとっても気になって、良いことで目立つならまだしも、悪いことでみんなの注目を浴びたくなかったんです。今思えば、たわいもないことですけど(笑)

 それから、昔は障害者を取り上げるドキュメンタリーなどを観ていて「健康に生まれてきたのだから頑張らなくちゃ!」と思ったりしていましたが、それもどこかで障害イコール損で、健康に生まれてきた自分はその人たちと比べると得をしているという思いがあったんだと思うのです。障害を損だと思うのは私の思い込みでしかないのに。失礼な話です。

 幸せだと感じる心があれば幸せなのです。何かを得たから幸せになれるのではなく、そのままで幸せだと気づけばいいだけなのです。

 悪いことが起きたとき、なぜそうなったのか原因を見つけて、そこで何かを悪者にするのはありがちですが、それでは何も変わりません。結局悪いことを「損」だと思っているわけですから、悪いことを出来れば受け入れたくない心理が働くわけです。そしてどこかで悪いことが起きたのは自分の責任だと罪悪感を感じているから、さらに目を背けようとしてしまう。

 たとえ病気になったとしても、病気なった要因を遠ざけようとしたり、否定しようとしたり、自分を責めたりするのではなく、病気になった意味を考えればいいのだと思います。病気は自分が成長するために起きたことだと思えたら、病気は「損」ではないですよね。命の尊さを知ることが出来るかもしれないし、本当に自分のことを必要としてくれる人がいることを気づかせてくれるかもしれない。もしかしたら闘病日記を本にしたりして、同じ病気で苦しんでいる人の希望になれたりもするかも。そうだとしたら病気が損だと一概に言えるでしょうか?まあ、損得で考えている人は「病気で金儲けして」と批判する人もいるでしょう。批判する人は自分が欲しいものを相手が持っていることに嫉妬しているだけ・・・なのだから、言わせておけばいいんです。
 
 考えてばかりいないで感じること。これが思い込みをはずす唯一の方法です。考えるから悩みが生まれるといっても過言ではありません。もちろん考えなくては生きてはいけませんが、感じることをもっと優先させていくことが必要だと思うのです。食わず嫌いだったものを一口食べてみたら想像していた味じゃなかった・・・なんてこと、沢山ありますし、やってみたら意外と簡単だったとか、反対にすごく難しかったとか、情報に踊らされずに、知っている気にならないで何事も実践あるのみだと思うのです。

 何かを得ることで幸せになれると思っているから、損とか得を考えてしまうわけだし、自分の思い通りになることが幸せだと思ってしまうんですよね。生きてるだけで幸せなのだと気づけば、すべての物事がありがたくなるし、あれもこれも欲しいとか沢山物をもっていることが幸せだとか、お金があることが幸せだとか思わなくなると思うのです。だからって、物を持っていないほうが幸せだということでもないし、物を持つことを拒絶することもまた間違っていると思います。

 持っていても持っていなくても関係ない、ということ・・・なんですよね。

 自分の思い通りの人生なんて、たぶん楽しくないし、成長がない。そう思ったお盆休みでした。 合掌