Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2014/1/3  「2014年のテーマ」
 
 あけましておめでとうございます。あっと言う間に年が明けてしまいました。年々時間が早く過ぎているように感じます。最近、白髪、シワ、シミに目を背けたくなるようになりました(苦笑)まあ、それは年齢を重ねていけば仕方がないことですので、ありのままの自分を受け入れたいと思いますが、なかなか難しいもので、土俵際で粘りたいと思う自分もいたり、もういいや~って勝負を投げ出したい自分もいたりで複雑なお年頃です(笑)それはさておき・・・

 最近読み直しているバガヴァッドギーターの本にこんなことが書かれていました。

 「人を捕らえ続けるのは、喜び・悲しみ、暑さ・寒さ、勝ち・負け、など相反する思いである。この2極の思い『好き・嫌い』から自由になれ。」

 好きという思いが、手に入れたいという「願望」になり、思いが強まり「欲望」になり、手に入らない場合は「怒り」になる。嫌いも何かを避けたいという願望と欲望と怒りの元になる。だから、好き嫌いで判断せず『調和』に基づきやるべきことを行い、期待と執着を手放して結果を受け止める態度がカルマヨーガ(行いのヨーガ)なのだ・・・と。

 昨年は今まで自分が好き嫌いや勝ち負けを基準に物事を行なっていることに気づいた一年でもありました。はじめて読んだヨガの本にヨガは結ぶ、繋ぐという言葉「ユジュ」が語源だと書いてありました。読んだときから、すぐわかったつもりになっていましたが、自分にとって「得」になることばかりに目を向けていたと思います。最初の頃はまだ私の理解の範囲が狭く、勝ち負けなどにこだわっていましたから、仕方ないことですが。

 知識を得たからといって、すぐに本質を理解できるわけじゃありません。その知識を元に行動できて初めて理解していると言えるのだと思います。初めの頃、調和とは自分の個性をなくすことのように思っていました。自分の感情を押し殺して、人に合わせるなんて、そんなの出来ないし、したくない、そう思っていました。自分が自分がという自己顕示欲が強かったのだと思います。

 今となっては、好き嫌いをなくすわけじゃなく、その思いはあってもよいと理解しています。ただ、その思いに囚われず、少し引いた目線で客観的に見ることができれば、その感情に振り回されずに済みます。そして行動を起こすときには利己的な思いからではなく、周りが喜ぶと思えるようにする。でも、それは人から良い評価を得たいという基準で行なってはいけないし、自分を卑下する思いから行なってもならない。

 好き嫌いの感情に囚われているうちは、本当の意味で自由ではないのだということです。期待や執着を手放してどんな結果であっても受け入れることこそ、自由なのです。

 簡単なことではないけれど、調和を基準にして考えると、今まで気づかなかったことに気づくようになります。今までは自分が好きとか嫌いとか損得勘定を基準に考えていたので、その場の利益しか目につかなかったんです。けれど調和を基準にした場合、その場で自分が損したり、嫌いなことを受け入れたとしても、結果みんなが幸せであれば、それでいいのだと前よりも思えるようになりました。自分の考えを押し通したり、正当化しなくても、たとえ否定されたり、けなされたとしても、そんなことは重要ではないのだと、ようやく気づけるようになりました。前は人の話の腰を折ってでも自分の意見をねじ込んだりしてましたけど(笑)

 昔、人から優しくされると、その人に恩返しをしなくちゃいけないと思っていました。だから、人に優しくするとき、相手の人が私に恩義を感じてお返ししなくちゃいけないと思わせるのは申し訳ないような気がして、あえて自分から相手を気遣ったり、親切にすることを避けていたときがありました。損得を考えて行動していたせいで、自分自身が得をすると思ったときに人に優しくしていたから、周りの人もそうに違いないと思っていたんです。だから私に優しくする人も何か思惑があってしてるのかもしれない・・・と思ったこともありますし、お返しをしないでいると自分のことを悪く思われるかもしれないと思っていました。

 今は何も期待せずに優しくすることが出来るようになってきました。相手がそのことに感謝しているとかしていないとか気にならなくなりましたし、優しくしてもらったとき、素直に感謝できるようになりました。優しくしてくれたから優しくしてあげないといけないとか考えなくなりました。

 『調和』を来年の目標にして、精進したいと思います。2013年、ありがとうございました。2014年もどうぞよろしくお願いいたします。 合掌