Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2015/3/12 「努力すること 無理をすること」
 
 日本人は特に無理をしがちな人種だと思います。多くの人が期待に応えようとしてしまうというか、自分の限界を超えても頑張ってしまいがちです。「頑張ってることは良いことだ」という日本人の中にある道徳なのか大和魂というのか、お国のために自らの命を惜しまずに戦うことを尊いとするというか、自ら自決することが生き続けることより潔いと思ってしまうからなのか・・・、無理だと断ることがなかなか出来ない。断るぐらいなら死んだほうがマシ的な素質がある人種なのかもしれませんね。(もちろん、そうでもない人もいますけど)

 無理をして頑張っているうちに、それが普通の状態だと思いこみ、無理していることにすら気づけないようになり、さらに「もっと頑張らなくては・・・!」と思ってしまう。

 過労死という言葉は、ヨーロッパなどでは単語すらないらしい。日本は真面目な人が多いからですよね。そんな単語があるってことは。

 努力とは今の自分を肯定し、より良い自分になろうとする行為だと思うのだけれど、無理は自分を否定する行為だと思う。今の自分では認められない・・・という自己否定が根底にあると思うのです。

 ヨガのレッスンをしていて、何割かのかたは無理をしてしまいます。徐々に頑張り過ぎていることに気付き、無駄な力が抜けていくのですが、長年続けていても力が抜けず、息を止めてポーズをとっていたり、肩などに力が入りっぱなしになっている人が残念ながらいます。真面目にポーズに取り組めば取り組むほどに、無理をしてしまうのです。

 ヨガが好きでずーっと続けていくという風に思っているならば、今ポーズが上手くとれなくても、気にならなくなってきます。続けていけば、おのずと柔軟性も増してきますし。でも、ポーズを上手くとれることを目的にしたり、友だちがやっているから、いいというから・・・、などという理由でヨガに取り組んでいる真面目な方はリラックスすることが出来ずに無理をしてしまう傾向が強いです。

 ヨガは自分の心と身体をつなぐものでもあるのに、ヨガによって二つがよりバラバラになってしまうのです。そうなれば、なかなか変化も起きないし、続けても良いことはないと思えばやがて辞めてしまいます。ましてや、無理をして怪我をしてしまったら、元も子もありません。

 無理をしないで欲しいのです。今の自分を認めて、信じて、成長させて欲しいと思います。何事も好きこそものの上手なれ・・・ですよね。好きだから上手くできなくても続けられるし、無理せず続けていけば絶対に進歩するはずですから。

 無理をするということは、強制労働させていることと同じ。いじめているのと同じなのです。だから、ムチを打って進ませるのではなく、自由にさせておいて、上手く自分の身体を動かして欲しいと思うのです。

 ヨガの教えで感覚器官、身体、意志、魂を馬車になぞらえて説明している文章があります。五感を馬として、意志は手綱、身体は車体、理智は運転手である騎手になり、その後ろに乗っている主人が魂(真我)という考えがあります。騎手(私たち)がちゃんと手綱(意志)をコントロールすることで、馬たちを上手く操り、馬車がスムーズに動くのです。

 こんな感じ→
             

 騎手が無理やり馬たちを動かそうと手綱に力を入れれば入れるほど、馬たちは暴れるでしょう。そして、馬車はとんでもない道を走ったり崖から落ちたり馬車自体がバラバラになってしまうこともあるでしょう。だから、騎手である理智がちゃんとそのことを自覚して、上手く意志を伝えて、感覚器官を使い、身体を動かすことが必要なのです。

 自分は今力んでないかな?早く結果を出そうと焦っていないかな?

 と、自分に問いかけてみましょう。最初から鋭い感覚を持っていなくても、続けていけばやがてわかるようになってきます。無理をしないでコツコツと行なうこと。焦らなくても、明日はやってくるのだから。気がつけば1ヶ月、半年、1年、3年、5年・・・と、振り返れば自分が進んだ足跡が続いているものです。そしていつか「ああ、ヨガを続けて良かったな。そう思えるものに出会えて良かった」と思える時が来ると私は思います。

 今月トイレに飾っている言葉、ラテンのことわざを紹介します。

 「忍耐は運命を左右する。」

 私はこの忍耐とは嫌なことを我慢するということではなく「答えを焦らない」ということだと思うのです。結果をすぐに求めようとせずに、じっと物事に取り組むことが運命を左右することになると。実際、早く結果を求めて成功した例をあまり知りません。何事も答えを出そうとするのではなく、出るのを待つ。そういう忍耐が必要なのではないかな?と思います。

 私はヨガをはじめてから、すぐに結果を求めるのではなく、そのプロセスを楽しむことの大切さを知りました。何か物理的なものを手に入れるということは結果がすぐに目に見えるものですが、自分の身体はそんなに早く結果が目に見えるものではないので、自然とそうなっただけなのかもしれません。でも、そういう気持で何事も取り組むようになってきて、気づけば色んなことが自分の思い描いたことに近づいているようになってきたように感じています。そして、この年になっても、ちょっとずつ成長していくことがとても楽しいのです。

 たまに、誰かと比べて焦ったり落ち込んだりしますが、そんなときはヨガを始めたばかりの頃の自分を思い出すのです。何より変化を楽しんでいたことを。結果はおのずと出てくるものだし、たとえ今思い通りの結果を得たとしても、未来永劫その結果を維持できるとは限らない。必ず人は老いるし、死ぬのだから。結果がすべてだと思ってしまうと、とても苦しくなっていくと思うのです。結果なんて自己満足に過ぎないことかもしれないし、否定されることだってあります。

 だから、今このときを楽しむ。無理をせずに、努力は惜しまず。努力は裏切らないとよくいいますが、それは適切な方法と適切な量の努力をすれば・・・です。努力も間違った方法と過度な量を行なえばそれは無理になってしまいますから。
 
 今後も楽しみながら努力し続けていきたいと思います。 合掌