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 コラム 

2015/5/25 「仏教は心の病院だ その2」
 
 前回のコラムの続きです。

 仏教の教えの中でこれがどんな症状の人にもまず処方したほうがいい、もしくは予防策で知っていいたほうがいいという教えがあるので、続けて紹介したいと思います。それは四念処という教えです。

 身=肉体のこと
 受=外界からの刺激に対する感受作用のこと
 心=我々の心のこと
 法=この世の全ての存在要素のこと

 この「身・受・心・法」に関して、私たちは間違った見方をしていることで苦しみが生まれているということなのです。それぞれについて簡単に説明していきます。

 まずは身。「肉体はかけがえのない素晴らしい美しいものだ」という認識を私たちは持っているけれど、本当は「日を追うごとに衰えていき、本来こうありたいという姿から遠ざかっていくもの」だということ。(年を重ねるごとに実感しますね・・・
抵抗したいけど

 次に受。「世の中は楽しいことばかり」と思っているのが間違いだということ。楽しいことが前提だと考えているから、何か自分に都合が悪いことが起こったとき、そこから逃げようとしたり目を背けてしまうのだと思うのです。仏陀がいう苦しみが平等という視点から見てみると、自分の願い通りに物事が進むこと自体が奇跡で自分の願いどおりに進まないことのほうがが普通なのだと思うのです。そう思うと悪いことが起きても動じないようになる気がしてきます。

 心に関しては「産まれてからずっと一つの心で存在している」と思いがちだが「心とは一瞬一瞬で移り変わっていくもの」だということ。これは仏教の教えである「諸行無常」ですね。今の私も、こうやって文章を打っている間にどんどん変わっていくし、もしかしたら明日には不幸のどんぞこにいるかもしれないのです。

 そして法に関しては「私という存在がこの世の中に含まれている」という思いは間違っていて「私は色々なものの集合体で成り立っている」のだということ。わたしなりに解釈すると、私という一個の固体で世界に存在していると思うから「私が私が」という間違った執着心が生まれるけれど、私という存在は固体ではなくて、原子の集まりでしかなくて、ミクロの世界でみたら、「私」なんてものは存在しないということじゃないかな~?と思うのです。顕微鏡がなかった時代にブッダは悟ったのですね、本当にすごい人だなと改めて思います。

 このように自分への認識が間違っていることが執着を生み、そこから苦しみが生まれるのだとブッダは悟ったのです。だから物事を自分の思い通りにしようとするのは間違っているし、人の気持ちを操ることなんて出来ないのです。

 私が何かストレスを感じてしまうときは上手くいかない現状を何かのせいにしようとしていたり、望むものが手に入らないから、他のもので代用しようとして現実逃避しているときなのです。ちょっと最近、漠然とストレスを感じていて、特になにかあったわけでもなく(反対に変化がないことがストレスなのかもしれないですが・・・)ちょっとイライラしたり、自己嫌悪に陥ったりしてました。

 何か有意義なことをしなくていけないけれど、何をしたらよいのか定まらないことにストレスを感じていると気づきました。これって先ほどの「受」で述べた、世の中は楽しいことばかりだと思い込んでいることに端を発しているのだと思います。だから常に忙しくしていて自分が必要とされているとか、誰かに認められていると実感できていないと不安になってしまうのです。

 すべてのことは必然であり、何も起こらないときは何も起こらない必要があるから起きないのに。無理やり現状を変えようとすることはもしかしたら無駄な抵抗かもしれないし、それは自分の正当性を証明したいというだけのことかもしれません。

 特に現代はSNSやツイッターなどから不必要に他人の情報が24時間開示され、自分と比較してしまいがちです。あの人はこんなに仕事が上手くいっていて楽しそう・・・あの人はこんなところにも行っている・・・あの人はこんなにも友だちがいる・・・と。隣の芝生は青く見えるもの。取り立てて何もアップすることがない自分はちっぽけな存在に思えて、人の幸せを素直に喜べない自分を恥ずかしく感じてしまったり。

 だからといって無理に自分の予定を埋めようとしたり、何かを手に入れようとせずに、そのまま身をゆだねるのも必要なのかな?と思います。いずれ、ことが起きるときは否応なしに起きるものだから、何も変化のないときこそ、自分自身と向き合ういい時期なのです。無理に外出したりせず、自分の心とじっくり向き合うためのフリーな時間を楽しもうと思いました。

 外出すれば無駄にお金を使うだけだし、ショッピングをしてひと時ストレスを解消したとしても、結局心は満たされてはいないから、また別のものを欲してしまうのです。外に刺激を求めたところで解決しないことは重々知っていたはずなのに、エゴの力は本当に凄い威力だなぁ・・・と実感しております 笑

 苦しいときこそ、仏教の処方箋が必要ですね!もう一度、仏教の本を読み直して、エゴを飼いならそうと思っています。  合掌