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 コラム 

2016/3/19 「アドラー心理学 その1」
 
 最近、アドラー心理学に興味があります。日本ではフロイトが人気なので、袂を分かったアドラーは最近まで日本ではほとんど知られていなかったそうです。私もNHKの番組「100分de名著」で紹介されるまではどのような心理学なのか知りませんでした。

 心理学って哲学よりも専門的で小難しい感じがして今まで手が延びなかったのですが、このアドラーの教えは実生活にも活かせるものだし、もっと早く知りたかった!と思いました。長くなりそうなので、分けてアップしたいと思います。

 まず、何か今自分を悩ませていることがあったとして、普通私たちは過去のトラウマが原因で・・・とか、親の育て方とかが・・・などと原因を探りますが(かつては私もそうでした)それは「原因論」というそうです。何か事件が起きたとき、幼少期に虐待を受けたとか、厳しい両親に育てられたことが原因だとか・・・よく聞きますよね。私も原因を探ることが一番大切だと思っていました。それに気付くことが出来れば問題解決に近づく、・・・と。

 が、アドラーは「今そうしたい目的があるのだ」と説くのです。これを「目的論」といいます。

 甘いものがやめられないのはやめたくないからだし、タバコがやめられない人もやめたくないからだし、パチンコや競馬などの賭け事もやめたくないからやめられない。最近世間を騒がせているドラッグもやめたくないからやめられないのです。過去を探って、たとえ親の愛情不足が要因のひとつだとかわかったとしても、やめるための助けにならないのです。

 やめたほうがいいよって誰かに言われたところで、すぐにギブアップしてまたはじめてしまうのは何かそうしたい目的があるからやめられない。それはもしかしたら、ドラッグをやめたら心配してくれる人がいなくなる・・・とか、仲間がいなくなるとか(例え悪い仲間だとしても)、本当の悩みから目を背けるためとか、理由は人それぞれです。

 本当にやめたいと思えばやめられるのです。だって、このままだと死んじゃうと医者から言われたらやめられた・・・とか、子供が出来て禁煙できた、という人もいますよね?じゃ、何故今まではやめられなかったのか、それは本人が本気で思っていなかったから。

 だから、悩みがあるときは、自分がその悩みを隠れ蓑にして逃げている理由を探ってそのことに気付かない限り、また繰り返してしまうのです。本気で悩んでいるのかどうかも考えてみる必要があると思います。痩せたいのに痩せられないといつも言っている人・・・
私もそうですが、本当に痩せたいと思えば痩せられるんですよね。でも、もしかしたら痩せたくない目的があるのかもしれないんです。それは自分に自信がないから痩せたいと思っているけれど、実際に痩せても自信がもてなかったら他に問題があると認めなくてはいけないから痩せたくない・・・とか、ダイエットしていると言えば努力しているように見えて太っている現実から目を背けられるから、とか・・・。

 たとえ過去に太っていることでイジメられたとか、傷ついたことがあったとしても、原因は過去のこと、解説に過ぎない。もちろん、過去の経験が今の自分の主観を創造しているのだから、過去の自分の経験を探ることも大切だけど、そのことが問題ではなくてそれを問題にしていることが問題なんですね。ややこしい???

 アドラー心理学では行動は信念から出てくると考えます。信念とは自己や世界についての意味づけの総体であり「ライフスタイル」と呼んでいます。いわゆる性格ですが、なぜそう呼ばずに「ライフスタイル」と言うのかというと、性格という言葉に含まれる変えにくいものだとニュアンスを一掃したいという狙いがあるそうです。

 このライフスタイルは四、五歳で形成されるとアドラーは言っていたそうですが、現代では十歳前後だといわれているそうです。

 子供は試行錯誤的にいろいろなことを試みて、いつの間にかこのような状況ではこうすればいいのだと体験を繰り返し、自己や世界についての信念を身につけ固定していきます。自分のライフスタイルが不便だという経験をしたとしても、一度身に着けたライフスタイルを容易に変えることはあまりありません。不便でも慣れ親しんだライフスタイルで生きるほうが次に何が起こるかという予想が出来るからです。

 だから、DV夫と別れてもまた同じような人を選んでしまったりするわけですよね。自分の男の選び方が間違っていると思っても、予想が出来る似たタイプの人をまた選んでしまう。周りから見れば「なんで?」と思いますが。もしかしたら、そういう人を選んで悲劇のヒロインを演じる自分が好きという目的が隠れているのかもしれません。
 
 見方を変えるなら、人は簡単には変わらないでおこうと決心しているのであり、そのような決心を取り消せば、ライフスタイルを変えることは可能だということです。

 人には承認欲求というのがあります。認められたいという思いです。自分が正しいと思いたいですから、今までのライフスタイルのまま認められたい、今までの自分を否定されたくないと思ってしまいます。これが強いと認められるかどうかが行動の軸になりますから、人生が辛くなってしまいます。幸せかどうかは人の感情に左右されてしまいますから。

 若い頃の私はコアになるものが何もありませんでした。友だちがいいって言うものが良いものになり、嫌いって思うものが嫌いになったり、人のものを欲しがったり人の意見に右往左往していました。きっと、人から嫌われたくないって思いと馬鹿にされたくないって思いが強かったんだと思います。だから今よりずっと不満ばかりでした。

 自由に生きるために支払わなくてはならない代償が「人から嫌われること」なんです。でも、最近ではみんな仲良くすることが良しとされ、出来るだけ嫌われないように生きようとしているように思います。でも、どんなに頑張ってそうしようとしても、10人いたら1人には嫌われるでしょう。私も嫌いな人がいますし、わたしを嫌っている人がいます。

 人は優劣コンプレックスを持っています。大なり小なりどんな人にだってあって、生きている限りそこからは逃げられないと思います。自分を実際よりも優れてみせようとしたり、他者からどう見られているかを非常に気にしたり、自分で自分についての理想を高くしてしまいます。
 
 自分がある人よりも優れていることを誇示しようとし、相手を貶めることを「価値低減傾向」というそうです。よく子供時代に経験しましたが「○○ちゃん生意気だから無視しよう」と無視をしたこと。なんとなく、それを拒めば自分が標的にされるかもしれないから一緒になって無視したこと。でも、自分は悪くない、無視される人に問題があるんだって言い聞かせてました。そうやって人を勝手な価値観でおとしめることのことを価値低減傾向と言うそうです。

 あと、やたらに不幸自慢することも劣等コンプレックスの裏返しというか、不幸なことを先鋭化しようとする行為なのだそう。自慢すると嫌われるけれど、不幸なことなら受け入れられるところもありますよね。特に日本人は謙遜が好きだし。自分がどれだけ不幸か話すことで注目されるなら、それでもいいと思ってしまうのでしょう。これって勉強が出来ない子が不良になって目立つ・・・という行為もそうかもしれないですね。私も時々お酒が入ると過去の恋愛失敗談を話してしまうのもそういう傾向なんでしょうかね?・・・苦笑

 皆から好かれようとしても嫌われるのなら自由に自分らしく生きて、嫌われたほうがいいなって思いませんか?

 人から嫌われる勇気を持つこと。もちろん、だからって皆好き勝手していいということではなく、共同体としての役割は果たしつつ、嫌われたとしても萎縮せず、自由に生きること。

 今回は人が変われないと思っているのは変わりたくない目的があるから・・・というお話でした。自分がずっと「私って○○な人だから」って思っていたこと、実は何かそうしたい目的があるって思うと、ドキっとしませんか?

 例えば私のことで言えば「人見知り」だと思っていたのは、嫌われて傷つきたくなかったから、初対面の人と接するのが苦手ということを言い訳にしていただけ。今は無理に愛想よくしたり、どんな人かわからないうちに仲良くする必要はないなって思うようになって、自分のことを人見知りで片付けようと思わなくなりました。

 人間の心理は複雑なので簡単にはその目的が見つからないこともあります。けれど、過去のことが原因で無意識に反応しているのだから仕方がないと思い込んでいたことが、もしかしたら、何かの目的のためかも?と思うことで、物事の捉え方、見方に変化が起きるかもしれません。

 次回も「課題の分離」とか「勇気付け」とかアドラーの心理学について書きたいと思います。  合掌