有名人のSNSなどで炎上がよくおきますが・・・
みんな、自分の認識が正しいと主張しすぎです。文章から受け取った印象は人それぞれで認識も人それぞれなのに、自分が判断したことが正しく、そうでない人は人格までも否定するようになっていくのは、本当に哀しいことだと思います。
私は「この人はこう思っているに違いない。それは間違っている!けしからん!」とは思っても、書き込みするのは面倒だからしませんが・・・そういう話題を聞くたび、本音で語る仲間がいないんだろうなぁ・・・この人には。と思って同情すら感じてしまいます。
私は色んな場面で自分の真意とは違って伝わっていたり、言ってもないことを勝手に解釈されてしまうこともありますけれど、最近はそれを訂正しようとすることをやめるようにしています。
なぜなら相手の方はそう思ってしまったのであり、その人にとってはそれが正しいことだと思っているのだから、私の説明が不十分だったりコミュニケーション不足だったから起きた問題だと気づいたからです。
前はただ、その事実を訂正して相手の方に納得してもらえなければ眠れなかったぐらいで、ようするに自分が正しいことを相手に認めさせたいだけだったんです。
最近は自分のコミュニケーション能力のなさが招いた結果なんだと受け容れることにしています。
だから、言葉だけをとってその言葉を正しいか正しくないか直すのはやめて、行動で表すしかないなって思っています。
言葉を修正するのは簡単だけど、実際には修正された側にシコリが残ることの方が多いと思います。表面上は分かりましたとは言っていても、心の中までははわかりませんし。
行動でみせる方が大変ですけれど、実はそれしかないのかも?・・・と思います。
私は人と付き合うのが実は苦手で・・・本当は嫌われるぐらいなら家から一歩も出ないで引きこもっていたいタイプです。子供の頃、良い関係だと思っていたのに影で悪口を言われていたりして、その度に傷ついて出来るだけ嫌われないようにしようとしていました。もちろん、自分だって誰かの悪口を言ったことも、無視したこともありましたけれど・・・。自分の感じることでしか判断できないですから、それが嫉妬心からくるものだとか劣等感からくるものだとか、そんなことは最近になってわかりましたけれど。今となっては、私のことを悪く言ったりしていた人もそういうことだったんだな~って理解できるようになりました。
ヨガを始めるまで、冒険をして新しい友達をつくって嫌われるのが怖くて初対面の人には自分からは話しかけたり出来ませんでした。優しく話しかけてくれる人と新たな友人関係を作れると喜んでいたら、世の中には騙そうする人がいるなんてことにも気付くのに時間がかかりまして・・・。それでもどこか真面目な性格だから人を信じることをやめられなかったし、怖がっていては成長できないし、本当の友達も出来ない。
ケンカしたって誤解されたって実際にあって顔を合わせ話すことが大切。
その時にちゃんと自分の気持ちを伝えることが出来れば間違って伝わったことや勝手に解釈されたこともいつかわかってもらえることもありますし。
顔を見れば相手が自分のことをどう思っているかわかります。嫌っているのか、好きだけどまた傷つきたくないと思って心を閉ざしているのか、顔色である程度は判断できると思います。会って話すのは勇気がいるし、もしかしたら決定的に嫌われる可能性もありますけど・・・。
でも、決定的に嫌われてるとわかれば無理に付き合う必要もない訳ですし、その人とは関係を終わらせても心残りはないと思えるようになりました。
最近もちょっとした勘違いをされたのですが、訂正したくなる気持ちをぐっと抑えて今後どうしたら分かってもらえるのか、考えるようにしました。もし、もう一度そのことが話題に出たときにはちゃんと真意を伝えることにしようと思いますが、態度で示していくしかないなって思っています。
2018年も、今日で終わりますね。
事故に遭うというハプニングもありましたが、振り返ってみれば2018年は良い一年だったと思います。来年も病気が再発しないことを祈って今年最後のコラムを終わります。ありがとうございました。2019年もどうぞよろしくお願い致します。 合掌
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