Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2019/10/10 「ヨガ16年生にして」

 私は10月10日でヨガをはじめて15年経ちました。ヨガ16年生になります。

 ヨガと出会う前は身体を動かすことは1週間も続けば良いほうで・・・最初は頑張ってみるものの、ストイックに頑張るのは向いてないようでいつも挫折しておりました。

 私にはヨガがとても合っていました。はじめておこなった日からヨガをすることが楽しくてたまりませんでした。だからこそ、これを仕事にしたい!とまで思ったのですが・・・。最初はダイエット目的で始めました。身体がとても硬く肩こりも酷かったですし、腰痛もありました。でも、はじめてCDをかけてヨガをしたその日とてもリラックスしたことを実感できて、ヨガをすることに夢中になりました。

 いつの間にかダイエットとか肩こりとかのことは忘れてヨガのことが知りたくて知りたくて本を片っ端から読んだりして、夢中になって指導員になるために勉強し始めました。

 そういう意味で私は最初からヨガを実践していたんだと、振り返ってみて気付いたのです。様々な欲に囚われてヨガをする意味を見失いそうになったときもありましたが、なんとか15年間ヨガを実践出来ていたと思います。

 ヨガはポーズの完成を目的とするものでもなく、柔軟性を高めることを目的とすることでもありません。ポーズが出来るようになったり、身体が柔らかくなるのは効果のひとつであって、それは本来目的ではないのです。

 ヨガは万能ではありません。なんでも望みをかなえてくれるものではないのです。宗教もそうですが、沢山寄付すれば幸せになれるものではないですし、御参りを沢山すれば幸せになれることではありません。オームのように間違った道に進むこともあります。寄付や御参りを否定しているのではなく、そういう行為を欲望のためにすることは間違った解釈だといいたいのです。

 最近、四十肩や腰痛や膝や股関節の痛みに悩む生徒さんが多くなってきて、ヨガを指導する私の力不足なのだとずっと悩んでいました。もちろん、エクササイズや体操などで改善できる方もいるけれど、全然良くならない人もいて・・・。ヨガを辞めてしまったらどうしよう、ヨガが嫌いなったらどうしよう、そうなったら私の責任だと悩んでおりました。(この前のコラムを読むとお分かり頂けるかと思います)大殺界のせいにしてやり過ごそうとしましたが、やっぱりダメで・・・(笑)

 生徒さんの生活を監視することは出来ませんし、アドバイスは出来てもそれを実行するかしないかは生徒さん次第ですし、やらないと大変なことになると脅して無理にやらせることはいけないし、たとえ実行したとしても治せる保障はありません。私は医師ではありませんし、医師であっても治せるとは限りません・・・

 だから「私は見守ることしかできません」という結論を出して自分を納得させたものの、心の奥底では生徒さんが変わることを望んでいました。今のありのままの生徒さんを見てはいなかったのです。この先痛みから解放され「ヨガのおかげでよくなりました!」と笑顔でいる生徒さんを想像していました。私はたぶん、知らぬ間に生徒さんに無言の圧力をかけていたのだと思いました

 ヨガはありのままの自分を受け入れるものだと思っているのに私はありのままの自分を、生徒さんを、受け入れていなかったのです。生徒さんが病気になったり、怪我をしたりすることは不可抗力であり私にはどうしようも出来ない、他人は変えられない、とわかっているのに・・・。

 私がしなければならないのは、痛みを無くす方法を教えることだけではなく、今すぐに楽になる教えを伝えることなのでは?と気付いたのは、つい最近のこと。

 無理をしないで下さいね、身体の力を抜いてくださいね、人と比べないでくださいね、出来るところまででいいですよ・・・と言いつつも、私は生徒さんが身体の調子が良くなったり、柔軟になったり、前向きになって欲しいという欲があったことに気付いたのです。そうやって、どこかで自分の思い通りになることを望んでいたのです。

 苦しみや悩みがある時には何かに執着している時なのです。私は間違った方向にベクトルが向いていました。痛みを無くしてあげたい、気持ちよくポーズがとれるようにしてあげたい、ヨガの良さを伝えたい・・・そのためにはこの体操やこのストレッチをすれば良いという情報ばかりに目が向いていました。生徒さんをありのまま受け入れるということの本当の意味がわかっていませんでした。

 私が伝えるべきことは痛みがあってもヨガは出来るし、ヨガをすることそのものに意味があるということ。

 痛みやコリから解放されるのは効果であって目的ではないのだから。たまたま姿勢が改善されたり運動不足が解消されたりすることでそういう悩みから解放されることはありますが、そのためにヨガをすると改善されなければヨガが向いていないと思ったり、焦ったり、昔の自分と比べたり人と比べたりしてヨガをすることの意味を見失ってしまう。ヨガをすること自体が苦しくなってしまうこともあるのだと気付きました。私自身がヨガを伝えることが辛くなっていた時期もありましたし・・・

 ヨガはしていることに集中することが目的です。

 痛みや苦しみがあったらそれをそのまま受け止めること。それを自分の一部と認めること。それと共存して自分が今出来ることをやる。だから正座が出来なくてもいいし、あぐらが出来なくてもいいのです。出来ることを出来る方法ですることがヨガなのです。他の人より出来なくてもいいんです。

 続けていくと、もしかすると出来るようになるかもしれないし、良くならないかもしれない。それでも、ヨガは出来るのなら続けて欲しいのです。ヨガをすることで継続できる自信がついて、そんな自分を好きになれるはずだから。

 出来ないことばかりに意識を向けずに、出来ることに集中する。私は身体を楽にしてあげたいと思うばかりにダメなことに意識を集中させすぎていたように思います。出来ないことを出来るようにしてあげたいと思ってしまっていたのです。そのことに気付いたときにガーーーンと頭を殴られた気持ちがしました。

 何年続けていても、ヨガの教えは奥深いと思いますし、初心にかえる大切さを教えてくれます。

 たとえ動くヨガが出来なくても呼吸が出来るなら呼吸法や瞑想をすればいい。どこでもどんな時でもヨガは出来る。歩くことに集中したり、車を運転することに集中したり、今に意識を向けていれば。・・・ということに改めて気付いた16年生の私です。  合掌