Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~ |
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●●● コラム ●●●
2020/10/18 「ヨガ17年生」 |
久しぶりになってしまいました。コロナ禍で代わり映えのしない生活の中でなかなかコラムの種になるような出来事や思考もなく・・・書く気持ちになれませんでした。
10月10日は私のヨガ記念日です。なので、何か書きたいな~と思っておりましたら、とても良い本を読んだので、そのことについてまとめたいと思います。
「反応しない練習」という本です。今まで色々な仏陀の教えの本を読んでいますが、こちらの本はすごくわかりやすくそして修行とか神とか仏教を信じる者は救われる的なものとしてとらえているのではなく、仏陀の教えとして伝えてくれているのでとても読みやすかったです。
著者はどこの宗派にも属していないようで、私の知りたい仏教に一番近い人なのかもしれないと思い、他の著書も読んでみようと思っているところです。
話を戻して・・・悩みを解決するのにどうしたらよいのかという仏陀の教えは
①悩みがある ⇒ ②悩みには理由がある ⇒③悩みには解決策がある
と、順を追って「理解」していくことでどんな悩みも確実に解決できるというものだそう。
まずは悩みがあるということを受け入れるのではなく、ただ「ある」と理解する。漠然と悩むのではなく、悩みがある、満たされなさがあると理解してしまうことで「どうしたらいいか」と思考を一歩進めることが出来ますよね。わかります。悩んでいるときって、自分が抱えている不安や虚しさや悲しさやイライラなどを見ないようしがちですし、無くしてしまおうとしませんか?そして結局また同じ悩みに煩わされ堂々巡りになって一向に進めない。
でも、まずは「ある」と理解する。
例えばコロナ禍でこれから先のことが不安だとする。まずは「不安」だと理解する。そしてその不安だという現実を作りだしているのは「心の反応」なんだということなのです。不安を感じるということは、今までの生活に執着しているということなのですが、その悩みを作り出しているのが心の反応。そして闘おうとしてしまうというのです。
嫌いな人に反応してその人を変えてみせようとか、打ち勝ってみせようともがきあがく。でも、そうやって相手や状況や環境を変えようとしても大抵うまくいきません。地位や財産や権力を手に入れても、体が丈夫になっても、「ままならない現実」はいつもそばにあり続ける。だから悩みは尽きない。
そこで仏陀は、「無駄な反応をしない」ということが解決策だというのです。
何故人は反応してしまうのかというと、それは「欲」があるから。「生存欲」「睡眠欲」「食欲」「性欲」「怠惰欲」「感楽欲」そして「承認欲」の七つの欲求です。まず、こういう欲求が心の中にあるから、欲求に突き動かされ人は「反応」する。時には喜びが、時には不満が生まれる。そういうサイクルを繰り返しているのが人生なのです。
結局「心は求め続けるもの」なんですよね。病気をして、健康でいられればいいやって思っていたのに、それが満たされると痩せたいとかいつまでも若々しくいたいとか美味しいものが食べたいとか・・・次から次へと欲求はわいてくるのです。
だから「心とはそういうもの」だと理解するのです。そうすると今悩んでる物事への反応が静まってきませんか?だって、この悩みが解決されたとしても、絶対次に何か別の悩みが浮上してきて終わりがないのが人間なんですから。
悩みはあるのが当たり前。欲があるのが当たり前。悩みを理解するとその悩みに対しての対応に気づくようになります。
そしてもう一つに「判断しすぎる」ということなのです。確かにこの判断によって、悩むことになったり悩みをもっと深くしてしまったりすると思います。SNSでの炎上なんて、自分が正しいと判断していることにつきると思うのです。でも、この本ではその判断は頭の中にしか存在しない「妄想」だいうのです。
確かに・・・こうやって私がコラムを書いてることも「妄想」を描いていると言えます。妄想というとなんか変な感じですけどようするに想像ですよね。人から差別を受けたとき、見下されたと感じるとき、相手の間違った見解で傷つけられたとき、悩みますし悲しくなりますが、それも相手の頭の中にある「妄想」なのだと思えたら・・・今までよりも早く立ち直れる気がしてきませんか?
悪口を言われたとしても、みんなが言っているとは限らないのだし、自分を認めてくれる人だっているのだし、傷つくし悲しいけれど「前に進もう!」と思えばいい。仕返ししてやろうとか認めさせてやろうとかそういうネガティブなエネルギーを使おうとせず、自分は自分、自分が心地よくいられるためにエネルギーを使えばいいんだと思います。
実際、一人のアンチに勝ったとしてもすぐに別のアンチが表れるでしょうし、今も昔も悪口陰口はなくなったことがないのだから、そういうものだと理解すればいいのだと思います。
私はよく他人と比べてしまうのですが、比較する目的は承認欲を満たして安心したいからなのです。自分はマシだと思いたいから。確かにこのままヨガレッスンを続けられるか不安なとき、他の人はうまくできているのかネットで検索してしまったりします。だからといって不安がなくなったかというとそうではなく、結局またすぐに不安になるものなのですが。
それは比較は妄想なので実感を感じられない。比較しても自分の状況が変わるわけではない。絶対完全に有利にならなければ安心は得られないがそれは不可能だから、比較しても安心できず不満が残ってしまうので堂々巡りになってしまうのです。
現代社会は競争社会だし情報社会だし自分というものを見失いがちですが、そんな時にこの悩みは「妄想」じゃないかな?無駄な反応をしてしまってないかな?それで自分は納得できるのかな?と留まって考えてみれば大抵の悩みは悩みではなくなると思います。
解決しなければならない問題ではあるかもしれないけれど悩みではなくなると思います。
「妄想」への対処法としては
妄想には際限がないことを知る。妄想には確かめるすべはないということ。そして自分自身の人生の目的をはっきりさせること。だという。
自分のことに集中して正しい努力をすること。自分が納得できるかどうかを指針とするのだということ。
悟りとは「最高の納得」なのかもしれません。
私も妄想にとらわれず、最高の納得を目指してこれからも進んでいきたい。コロナ禍で思うようにならないことが沢山あるし、不安もあるけれど、そのなかで自分が納得できることを指針に出来ることをやっていこうと思っています。
この本は手元において何度も読み返したい本の一つになりました。合掌
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