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●●● コラム ●●●
2020/6/30 「老子の教え」 |
最近読んだ本は「人生に、上下も勝ち負けもありません」です。
精神科医である著者が患者さんに老子の思想を話したところ、心に響き実際に症状がよくなっていく人がいたという経験から、老子の思想には何か力があるのではないか、とご自身の解釈も交えてまとめられた本です。とても読みやすく癒されました。
私が住む小樽ではまさかのクラスターが発生し、まだまだコロナと生きていかなくちゃいけないのだと思いながらも、どこかでその現実を受け入れられない自分がいて、先のことを考えると不安になってしまいます。それにコロナ禍じゃなくても落ち込んでしまう時がありますよね。
比較されることの多い孔子の教えは元気ややる気があるときには役に立ちますが、不安や落ち込んでいる時には老子の教えが効くそうです。
老子の教えが私にも刺さりました。図らずも今毎日見ている中田敦彦のyoutube大学でもちょうど老荘の思想についての動画を見ていたところだったので、すっかり私は老子のファンになりました。
孔子の教えは、深く学んではいませんけれど、なんというか自分に厳しくもあり正しくあるべき教えというか窮屈な感じがしたのです。中田敦彦いわく「孔子はリーダーになるための帝王学」で老子は「出世と成功にとらわれない生き方」だということを言っていて、うわ!だからか・・・と納得しました。
だって、私はリーダーになりたくないし、起業したり、お金持ちになることなんて望んでないからです。なるほど、だから老子の教えの方が響くのだと思いました。
孔子の考えは優秀で社会に必要とされる人材なることを望まれる人物ならば必要なのだと思います。礼儀を重んじ、自らを厳しく戒めるような思想なので、常に人からどうみられるか、常に自分はどうあるべきかジャッジしている人生のような気がします。それって自分にパワーがあってイケイケな時はいいけれど、挫折してつまずいて落ち込んでいるときにはキツイ・・・まだ頑張りが足りないということ?と自分を責めてしまいそうです。
著者の患者さんの多くが「ジャッジ」に悩んでいるといいます。私も無意識にジャッジしていますし、自分で勝手に設定した判断基準に苦しんだりもしてきました。今も苦しんでしまうことがあります。
老子は「無為」だというのです。「どんな存在でも、自然のままにいれば、ただそれだけでいい、わざとらしいことをせず、自然に振るまえ」と。著者はこれを現代風に「ジャッジフリー」という言葉で表しました。
悩める人が陥りやすい「心的傾向」は4つに分類することが出来るそうです。ちなみにうつ病の心理特性を表したものでもあるそうです。
①自分は弱い→劣等意識
②自分は損をしている→被害者意識
③自分は完璧であるべきだが難しい→完璧主義
④自分のペースにこだわる→執着主義
私はこのうちすべてが少なからず当てはまるような気がします。自分より学歴が高い人には劣等感を感じてしまいますし、長女だということだけでも損していると被害者意識がすごいですし、完璧になりたいけれど出来ない自分が嫌いになることがありますし、こうあるべきだという曲げない部分があって執着してしまいますし・・・。
それぞれについて老子の教えは
①強い者が勝つ、弱い者が負けるというのは思い込み
②多くを望まなくていい
③所詮、価値は相対的なもの、絶対的な価値基準など存在しない
④自然のまま流れに任せて生きるのがいい
とそれぞれの傾向に対して老子が生きていたらこんな対処法を言うのではないだろうか?というのが著者の意見です。
老子哲学というのは「弱さを承認する思想」なので「甘えを認める哲学」だと思われかねないところがあるそうです。でも抜け道を行くようなひょうひょうとした心持がむしろ武器になると著者はいいます。
「地位、名誉、お金、評価を求める人は多いけれど、自分の体を犠牲にしてまで“手に入れなければならないもの”など何もないよ、と言ってくれるのが老子の教え。
過労死してしまう人は孔子の考えのような価値観で弱みを見せたくないし、失敗できないし、迷惑かけたくないって思って頑張ってしまうのだと思う。老子の考えを知っていたら・・・死ぬ前に助けを求めることが出来たのではないだろうか?と思う。
競争することは間違いではないと私は思っています。そうすることで成長することができる。けれど勝ち負けだけにこだわるのは間違いだと思う。1番になるのは悪いことじゃないけれど、1番以外に価値がないわけじゃない。何事も過程が大事だと思うのです。
老子は思い通りにならないときに「完璧な準備をしたってうまくいかないことはある。よかれと思ったことが裏目に出ることもある。いつも、いつも「正しい因果関係」があるわけじゃない」と言っています。いい加減という言葉は「良い」加減ととらえることもできますよね。
完璧じゃなくて良い加減で生きていきたいなって思います。
孔子の教えも老子の教えもバランスよく取り入れていけばいいのです。物事はすべてケースバイケース。
老子の教えについてもっと学び、自分なりに解釈して現代社会をひょうひょうと生きていきたいものです。 合掌
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