Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~ |
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●●● コラム ●●●
2009/2/13 「自分の手で船を漕ぐ」 |
今の世の中は何が起こるかわからない・・・そんな不安がつきまとっています。
いつ会社が倒産するかわからないし、リストラされるかも、詐欺にあうかもしれない、いつガンになるかわからない・・・。なんだか、そうやって先のことばかり心配して、「今を生きていない人」が多い気がします。「どうせこの世の中頑張っても無駄だし」など言い訳をして、何も行動をせず、何かラッキーなことが降ってこないかと上ばかり見て、足下をみようともせず、結局自分の言葉通りの無駄な人生を歩んでしまっている・・・もったいないですよね。
私は、ヨガと出逢い、人生何事も自分次第だと気付いてから、生きること、年をとること、死ぬことが怖くなくなりました。どんなに不安を感じて先のことを考えていても、その通りになるかどうかなんてわからないし、なるようにしかならないのですから、だったら「今できること」を考えていくしかない訳です。それは先のことを考えず、その日暮らしをしろ・・・ということではありません。
例え、詐欺にあったとしても、そこから何かを学ぶことが出来るから起きたと思い、今できることを考える。詐欺にあったことを悔やんで、失ったもののことを悔しがったところで、それは済んでしまったこと。どうにもなりません。だったら、これからはどうするのか、自分がこれからはどう生きるのか・・・それが問われていると思って生きていくことだと思うのです。
ガンに冒され余命が数ヶ月だとしても、交通事故などで突然前触れもなく命を奪われるよりも、残された人生をいかに生きるかは自分に選択肢があるわけですから、私は幸せだと思うのです。残りの人生がどれだけ残っているかということだけで幸せをはかることは出来ないから。それが3日であっても、数十年あっても、今を生きていなければ意味がないと思うのです。
もちろん、これは想像ですから、実際は違うかもしれません。そんな立場になったら、絶対奇麗事なんて言ってられないよ・・・と思う方もいると思います。私自身も絶対冷静でいられるとは言い切れません。
でも、「全ては必然なのだ」と思える今は、出来事も病もすべて受け止めて、自分がそこから何を学ぶのかを考え、逃げずに生きて行こう、生きていきたい・・・と思うようになりました。実際、その時は何で?と思うことが、後から振り返ってみると自分には必要だったと思うことがとても多くなりました。あの時、あのタイミングだったから、今の私があるんだな・・・と。
中島みゆきさんの「宙船」の詩で「お前の手で漕いでゆけ お前が消えて喜ぶものに お前のオールを任せるな」というフレーズがありますが、まさに現代の人はこの気持ちが足りないような気がするのです。他人に自分のオールを握らせて、不況の川に流されている人が多いように思うのです。
今、職が無い人にとっては将来が不安です。でも、仕事をしている人も将来は約束されたものではないのです。結婚をしていない人にとっては、老後一人で寂しいかもしれないからと、結婚相手を探しているかもしれません。もしくは結婚したら幸せになれると思っているかもしれない。だけど、結婚していたって相手がとんでもない浮気者かもしれないし、早く先に死ぬかもしれないし、子供も出来ないかもしれない、子供がいても親より先に死ぬかもしれないし、一緒に生活できるとは限らない。
幸せを約束された未来なんて、誰にもないのです。外側に幸せを求めるということで言うなら・・・です。なぜなら幸せは自分の内側にあるからです。
一人一人が自分の人生の主役です。それは自己中心的に生きろということではありません。何か問題が起きたとき、それは人のせいではなく、自分自身が成長するために必要なことだから起きているということを受け止めることなのです。そして今生かされていることに感謝すること。そうすれば、どんな激流に流されて、オールを失ったり、船を無くしても、命があればこれからなんだって出来るはず。
自分の人生を生きていない人は、人にオールを任せているから本当は別の川に行きたいのに行けないことに気付かない。それが自分の人生だと諦めて気付こうともしない。そして大きな海に投げ出されて、それを誰かのせいにして、誰かが助けてくれるのを待って漂流し続けている・・・。
自分で航路を決めて自分の手で船を漕いで、進むこと。そうすれば、風が後押ししてくれることもあるでしょう。誰かが案内人を務めてくれることもあるでしょう。一緒に進む仲間に出逢うこともあるでしょう。
目的地に着くことが幸せなのではなく、いい船に乗ることが幸せなのではなく、人よりもいいオールを持っていることが幸せなのではなく、宝物を沢山持っているから幸せなのではなく・・・
自分自身を成長させる旅のはずが、いつのまにか楽をすることばかり考えていたり、当初の目的を忘れて、途中で立ち寄った場所で宝箱をみつけて、それを奪い合ったり、独り占めしたり、奪われるかもしれないと不安になったりしている人が多いように思います。そしてそこから出発できないでいる。出発しようにも船には乗せる荷物が限られます。欲を持って沢山積み込めば、船は沈んでしまうでしょう。
たとえ、大きな船に乗ろうとも、頑丈なオールを持っていても・・・それが自動で動いたにしても、漕ぎ手自身が成長しなければ目的地にはたどり着けないのです。
だからこそ、目を覚まそうと色々な事件が起こっているのかもしれません。株価暴落や円高など・・・形のないものに振り回されている現代の人々。いつかは消える形あるものを求める現代の人々。自分たちの本当の目的を思い出せ・・・と警笛を鳴らしているのかもしれません。
最近のニュースを見ていて、ふとそんなことを思いました。私自身、まだまだ未熟者ですから、時として人のせいにしたり、人を羨ましがったり、落ち込んで投げやりになりそうになります。
私はまだまだ旅の途中です。 合掌
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