Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2009/5/31 「私の求道ヨガ」
 前回のコラムでも沖ヨガの龍村修先生のワークショップに参加させて頂いたことを述べましたが、そのときに沖ヨガは「求道ヨガ」だということを再認識しました。「求道」とは「ぐどう」と読みます。真理を求め修行することです。今までも何度も読んだり、聞いたりしてきたのに、何故か今回、私の琴線に触れた言葉「求道」・・・

 現代のヨガの多くは「技術ヨガ」になっているように思います。このポーズはこのくらいの足幅で手の向きはこうで、こうして形をつくっていく・・・というように、やり方を伝えていくヨガになっている。流派によってはこの順番でレッスンすると決まっているところもある。でも沖ヨガは「求道」なので、手はなぜこの向きなのだろうか?なぜこうしてはいけないのだろうか?こうやって形をつくったらどうなるのだろうか?と自分で考え実践し、真理を追究するヨガなのです。

 そして、生徒さん自身が自らそのことを実践できるように導くのが指導者の勤めなのです・・・

 私自身は真理を追究しているつもりでいましたが、よくよく考えてみると、人の言葉や人の技術を自分のものにしたかのように錯覚していただけなのではないだろうか?と思いました。私自身が「こうなりたい、こうあるべきだ」という理想の自分だけを追いかけて、今の自分を見失っていたのかもしれません。・・・先を急いでしまいがちな私の心の中にふと立ち止まる時間が与えられたように思いました。

 龍村先生は「ヨガを30年続けると、突然、智慧がわいてくるようになる」とおしゃっていました。30年・・・!私はヨガをはじめて30年経つと65歳になってますけど 汗。

 65歳になっても、健康であればまだまだ人生これからの時ですね。ある意味そこから私の本当のヨガの学びが始まるのかもしれない。今はその準備段階なのですから、色々と失敗する時期なのかもしれません。そんな私についてきてくださる生徒さんは・・・本当に心の広い方々だなぁと感謝の気持ちが溢れてきました。

 私のヨガは日々、変化(進化)しています。まだまだ指導も手探りで失敗ばかりしていますが、その私を見捨てない温かな生徒さんに支えられて、私も日々自分の身体を地図に一歩一歩進んでいるところです。時々、早く成果を出そうと焦ったり、なかなか手応えの感じられない時には自分の力不足を嘆いたりするのですが、それが今の自分の実力なんですよね。それを認めないとなおせないんです。

 最近読んだ本に書いてあった、パラマハンサ・ヨガナンダの言葉を紹介します。

 「毎日、自分の考えたことや抱いた欲望を書き留めなさい。そして、自分のありのままの姿を見定めなさい。想像の自分ではありません。誰でも自分の好ましい姿だけを想像したがります。ほとんどの人はこうして自分の欠点を直視しないため変わらないのです

 「あなたを救うものは、あなたが耳で学んだ事ではなく、その中からあなたが実行して身につけた事である

 7月2日でサロンは2周年になります。こうやって、私が指導を続けていられるのも、通ってくださる生徒さんがいらっしゃるからです。生徒さんがいるから、頑張れるのです。本当に感謝しております。いまだに「先生」という言葉に違和感を感じる自分がいますし、落ち込むことも、自信喪失することも、不安になることもあります。全然スゴイ人間じゃないし、スタイルも良くないし、ヨガ続けてもこの程度なの?と思われないかと内心ビクビクしてます 笑(ヨガのおかげで昔よりは変わったんですよ、これでも)

 でも、ヨガが好きだし、ヨガで出逢った仲間が好きだし、生徒さんが好きだし、ヨガをはじめてから自分が好きになれたし・・・

 辛いことも大変なこともあるにはあるのですが、喉元過ぎればなんとやらで・・・。思い返すと、この気付きのために必要だったんだと思えることばかりなので、これからも逃げずにトライして行きたいと思います。私だけの「求道ヨガ」を追求するために・・・。そしてそれを伝えるために。ひとりひとりが自分の求道ヨガを見つけられるように・・・

 いつも、このコラムを読んで下さってありがとうございます。 合掌