Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2010/9/20 「エゴとの闘い」
 ここのところ、続けることの大切さを噛みしめております。ヨガに限らず、何事も続けていくうちに自然と分かることや出来ることが増えていくものです。私はヨガを続けていて、本当に沢山のギフトを受け取りました。今もなお、新しい発見があります。だから沢山の人にヨガを知って貰いたい、そう思うのですが、・・・なかなか上手くいかないものですよね。

 1回でヨガから遠ざかってしまう人、数回で諦めてしまう人、はじめようと決心したはずなのに当日やる気がなくなって?キャンセルしてしまう人など・・・様々な人と出会い、別れを経験してきました。

 でも、最近気付きました。ヨガを続けて欲しいと思うのは、それは私のエゴなのかもしれないと。ヨガでなんとか良くなって欲しいという思いはその人の為というより、私のエゴに過ぎないのだと思うようになりました。結局は自分がヨガを指導している事への正当化とか、自分が認められたいという思いがそう思わせているだけで、実際はヨガから遠ざかっていく人にとってヨガは今は必要ないのかもしれない・・・と。

 以前は去っていく人が出ると、自分の力不足を嘆いて落胆していたのですが、今は続けたいと本人が心から思う時がくることを祈るようになりました。いつかその人自身が「ヨガと出会えて良かった」と思える時がくることが望みですが、たとえヨガじゃなくても、そのかたの人生が豊かになる一生の宝物と出会えるといいな・・・と願うことしか、私には出来ないのだと悟りました。

 私が出来ることは自分の体と心から逃げずに向きあうことだけなのです。自分のことを棚に上げて人の心配している暇があったら、自分と向きあうべきなのです。周りに起きていることは自分の内側の反映なのですから、自分の心と体と向きあうことが出来ずに逃げ出してしまう人がいたら、それは私の心がそうだから・・・なんだと気付きました。

 最近読んだ本にこんな素敵な言葉が書いてありました。

 「問題を解くことができるなら、心配する必要はどこにあろうか。
      解くことができないなら、心配することに何の意味があろうか。

 ほんと、そうですよね。ヨガを続けられるかどうかというのは、その人の問題であって、私の問題ではない。解くことができない問題です。だったら、そのことで悩むことになんの意味があるのでしょう?無意味ではないですが、心配したからと言って何も解決できないということなんですよね。

 ヨガを続けていることで不安になっている時間は以前に比べてごくわずかになってきたように思います。人と比べて落ち込んでしまうことも、自己嫌悪に陥ってしまうことも、かつては人のせいにして自分の心から逃げていたけれど、今は逃げずに向き合えるようになってきました。

 結局の処、すべては自分の心の問題なのだと気付いたから。

 でもエゴは手強い・・・笑。やっつけたと思っても次の瞬間にもうヤツは背後に潜んで機会を狙っている。手を変え品を変え私を翻弄しようとする。でも、人間として生まれてきたからには、エゴとの闘いはずっと永遠に続くのだと思う。

 一番の敵は自分。すぐに諦めようとしたり、人を判断しようとしたり、自分にとって都合のいい人ばかりを好きになろうとしてしまう。嫌いな人が不幸になることを望んだりしてる残酷な自分もいる。でも前よりはそういう自分に早く気づけるようになりました。そしてそういう感情にひきずられないようになり、そんな自分を受け入れられるようになってきました。そうすると暴走しようとする心が大人しくなり、意外に聞き分けが良くなるものですから不思議です。

 例えば諦めようとする自分が出てきたら「そうだよね、頑張っても人に認められないとやる気がなくなるよね、寂しいよね」と認める。すると・・・いや、人に認められたいだけじゃないし、もうちょっと頑張ってみてもいいかも・・・って思えてくる。仮に人に認められたいだけで始めたことならば「そうだよね、じゃ、やめよう」と誰かのせいにして辞めるのではなく、心からそう思えるようになります。

 決して無理に「そういう風におもうべきじゃない」とか自分の気持ちを押し殺そうとするのではなくて、認めて、それを受け入れる。それだけ。あとは勝手に気持ちがそうなっていくのを見守る。ならなかったら、とりあえずそれでよしとする。無理に変えようとしない。

 前は無理に変えようとして感情を抑圧してしまったけれど、その感情は消えることはなく、くすぶり続けるのだと最近気付いたので、無理に変えようとするのをやめました。これって、子育てとか人付き合いとかにも当てはまると思います。相手に自分の意見を押しつけて「こうあるべき」という態度をとると、絶対に上手くいかないですよね。

 それよりも、相手の言い分を受け入れ認めると、自然と人は正しい方へ導かれていくものだと思うのです。全ての人の心の中には「仏」がいるはずだから。例えそれが殺人であっても(もちろん殺人は許されない行為ですが)相手の言い分をとりあえず聞き、そして「そうするしかなかったんだね」と認めることで、相手は素直に罪を受け入れられるようになるような気がします。
甘いかな?

 でも、相手の過ちを頭から否定して「何故そんなことしたの!」と問いつめたところで、相手は自分と向きあおうとはしません。間違いを犯したことは本人が一番わかっているのです。それを「間違っている」と言えば言った分だけ相手の心はそれを否定してしまうと思います。自分が正しいことを言っていても、相手には響かないんですよね。

 自分の心も同じ。否定して無理に変えようとすればするほど、自分は正しい、相手が間違っていると逃げ道を探してしまう。そうではなくてとりあえずいったん認める。そんな自分を受け入れる。それが例え許される事じゃなくても、それが事実だから、目を反らさずにそんな自分をありのまま受け入れる。出来るだけ客観的に・・・。

 過去は変えられないけれど、認識を変えれば未来は自ずと変わっていくものだから

 ヨガと出会ってから、私の人生は確実に変わりました。いままで絶対に無理と思っていたことにチャレンジすることが出来たし、自分の弱さを認めることも出来るようになりました。それは、今の自分を受け入れるようになったからだと思うのです。過去の積み重ねが今の自分を作っているのだから、今の自分を否定して、未来の自分の理想だけを追い求めることは根本的な解決にならないし、何も変わらないということに気づけたからです。
 
 今の自分を受け入れるということは「諦める」ことではなく、過去の自分のことをしっかりと見定めること。ジャッジしたりせず、そうするしか知識がなかったのだということを認め、今の自分はそのことを知っているのだから、過去は変えられなくてもこれから先は変えられるはずだと信じることです。

 言葉で言うのは簡単です。自分を受け入れることは簡単なことではありません。本当に。私もまだまだ目を反らしていることが沢山ありますし。でも、少しずつ、そんな自分を受け入れることが出来るはずだと自分を信じています。

 エゴと闘うというのはちょっと大げさですが、これからも闘い続けて心身のバランスをとって人生をエンジョイしていきたいと思っています!
もうすぐ41才・・・まだまだ人生の半分ですから 笑 合掌