Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

 2013/10/11 「ヨガ10年生」

 10月10日でヨガ10年生となりました。この1年間も色んな気付きが得られたと思います。

 ヨガを始めてからかなり改善されたものの、ずっと慢性的な首や肩こりがあり(辛くはない程度ですが)、毎日ヨガをしているのに二足歩行の人間にとっては仕方のないことなのかと半場諦めていたところでした。しかし今年の6月に出会った「ホネナビ体操」というものを実行して数週間で今まで10だったコリが3とか2ぐらいまでに激減したのです。関節をちゃんと適切にほぐしてあげれば、体は変わるのだと身をもって実感いたしました。

 日ごろからヨガですべての関節を色んな方向にほぐすことはとても時間がかかるし、なかなか難しく、何か良い方法はないものかと思案していたのですが、これで悩まなくても済むようになりました!ホネナビ体操を準備体操として今後もずっと取り入れていこうと決心し、日々実践しております。

 でも、今年の夏に軽いぎっくり腰をはじめて経験しました。毎日ヨガをしていたとしても、起きるときは起きるのだと知ってはいましたが、正直、初めてレッスンを休まなくてはいけないのかと焦りました。しかし数時間で通常の動きが出来るように復活できましたので、レッスンを休むこともなく、痛いときにどんな動きが辛いのかも理解できたし、ぎっくり腰を治す方法も試せて、いい経験だったと思います。

 どんなマイナス要素もプラスに変換すればいい・・・そう思っていたけれど、本当に心から実感できた出来事でした。自分の思い通りにならないことがあるけれど、それを受け入れて、認めることで自分が想像していた思い通りの未来よりも、ずっと豊かな人生が待っているんですよね。

 年々、肌はシミとかシワとか増えてくるし、白髪も増えるし、油断するとすぐ太る身体ではありますが、そんな自分を諦め・・・ではなく受け入れることが最近出来るようになってきたと思います。自分に出来ることには限界があり、人が出来ても自分には出来ないこともあるし、逆も然りです。今のところ寝込むような風邪も9年間引かず、健康で五体満足ですから、人と比べて劣っているところばかりにフォーカスするのではなくて、自分の良いところを意識していこうと思っています。

 私は元来負けず嫌いなのですが、それは「自分が勝つことしか考えていないからだ」・・・という言葉を何かの本なのかサイトなのかは忘れましたが、見かけてギクっとしました。勝つイコール得だと思っていましたから、負けることは損することで、最初から負けることがわかっている勝負はしたくない・・・と思っていました。そして勝ったときに、負けた相手の気持ちなんか考えてもいなかったかもしれません。

 ヨガを始めてからは、前よりも負けても腹が立たなくなっていたのですが・・・それは、硬かった身体が変わっていくことで、自分の思い込みや凝り固まった考えに左右されていたことに気づくようになり、人生勝ちとか負けじゃないなと徐々に思うようになりました。それに身体が硬かったことが今では指導する時に役に立っていますし、すべては自分の考え方次第なのだと思うようになりました。

 勝ったとか負けたとか、それはその時の状態に過ぎず、時が経てば変わって行くものです。自分が勝つことで得るものは優越感かもしれないけれど、負けたときにだって得るものはある。例えば経験や負けることの痛みなど・・・。決して勝つことを放棄しろということではなく、勝っても負けても、そこに行くまで自分がどう向き合ったかということが大切で、結果は結果に過ぎず、それを目的にしてはならないのだと本心から思うようになりました。まぐれで勝ったとしたら、本当に心から喜べるでしょうか?もしくは不正を働いて得た勝利だとしたら?そして、永遠に勝ち続けることは不可能なのだから、負けるときは必ずやって来ます。その時、自分はもう価値がないと思うのか、経験として活かすのか・・・。

 最近、テレビで見た朝ドラで主人公が自分がもらったジャムを他の人に分けてあげなかったときに、祖母が言った言葉を思い出しました。祖母に「なぜ分けてあげないんだい?」と聞かれ、主人公は「減るから」と答えます。その時に「ジャムは減るかもしれないけれど、分けることで増えるものはないのかい?」と祖母は聞いたのです。ドキっとしました。かつての私は主人公と同じでした。何かを分ければ自分の分け前が減る。損するから分けたくない。自分は得していたい。そのことばかりに目を向けていました。物質は減るかもしれないけれど、分けたことで相手から感謝されたり、信頼だったり、愛情だったり友情が増える・・・そのことに目を向けることが出来てなかった。

 私は長女なので、最初はすべて自分のものでした。それが弟が産まれ、親の愛情も食べ物も弟と分けなければならない。何かあると「お姉ちゃんでしょ」と言われる。ずっと長女は損だと思っていました。今思えば、一人で親の愛情を受けていた時期があるのだから、自分が一番得していたんですけどね。妹は私のおさがりばかり着ていた訳だし、おやつの一つや二つ多く弟や妹に分けてあげても良かったと思いますけど、その時は目の前にある物質のことしか頭にありませんでした。子供でしたから、仕方のないことだと思いますが・・・

 ようやく最近になって(40過ぎて恥ずかしいですが)、目に見えることだけが増えたり減ったりするわけじゃないということを理解できるようになったと思います。だから、たとえ今何か勝負事をして負けたとしても、ゲーム自体を楽しもうと思えるし、勝った相手を讃えてあげようと素直に思える。負けた自分が格好悪いとか思わないし、自己否定しなくなりました。

 ヨガをして柔軟なるとか綺麗になるとか若返るとか・・・ではなく、自分が成長するためにヨガをしていこうと新たに決心した10年目なのでした。 合掌