Yoga & Relaxation Salon in Otaru ~ Candrika ~
















 コラム 

2013/2/22  「人の目が気になるとき」

 最近、人からどう思われているかということが前より気にならなくなってきた気がします。

 ヨガを始めてからも最近まで、人からよく観られたいという欲があって、平均点以上の自分になろうと無理をして頑張っていたところがあったと思うのです。周りの人が期待する指導員にならなくちゃと、焦ったり、柄じゃないこともやろうとしてみたり、自信がないのに、誰かがやっているからという理由だけで自分を奮い立たせて挑戦してみたりもしていた。そして、思ったような成果が得られなかったり、評価されていないと思って落ち込んだり、自己嫌悪したり、他の人の良い評価を聞いただけで、自分が批判されたり否定されたわけでもないのに、勝手に傷ついたりしていました(今もその傾向が無いわけではないけれど・・・)

 ヨガをはじめてからは、落ちこんでもすぐに気持ちを切り替えられるようになったけれど、人の目を気にしてしまう性格はなかなか改善されなかったように思います。ある程度、人の目を気にするということは社会人として必要なことです。人の迷惑にならないようにしようとか、自分勝手な行動は控えようという意識が働き、人間関係を円滑にするために必要です。でも、それが過剰になるのは問題ですよね。

 私は過剰まではいきませんでしたが、常に人の目が行動の基準になっていたように思います。そしてそのことについて、ヨガを始めるまでは疑問に感じたりしたことはありませんでした。

 けれど、最近は、いい意味で慣れたというか、人が見る自分というのはその人の主観だし、自分自身だって、コロコロ心が変わるのだから、たとえ「あ、この人誤解してる」と思って傷ついたとしても、その人を否定したり、その人を嫌いになったりして、自分を正当化しなくても、平気になる場面が増えてきたように思います。

 それは、段々と自分を受け容れることが出来るようになってきたからでは?と思うのです。

 人からの評価が気になったり、自分を正当化しようと思うときは、努力はしていても、その努力が人によく思われたいだけで行っていたり、損得勘定だけで行っていたり、結果だけに囚われていたり、誰かと何かと比較している時に感じてしまうのだと思うのです。

 自分が自分の出来ることを精一杯やれているだろうか?ということではなく「みんな私をどういう人間だと評価しているのだろうか?」と気になってしまうのです。やっている行為がいいかどうかではなく、人がいいと思うかどうかが基準になってしまうのです。それが当たり前になると、人が見ていないときはずるをしたり、手を抜いたり、人にわからなければ何をしても良いという感覚に陥りやすくなります。

 例えば、周りの人が自分を褒めて、持ち上げていると、それが当たり前になり、自分は人から評価されるべき人間だと勘違いして、横柄な態度をとったり、人をけなしたり、陥れたりしたり、するようになることもありますよね?

 もし、人の目ではなく・・・自分の心の目に従っていたら、いじめなんて起きないと思うのです。周りの人がいじめているから、いじめていいのだとか、いじめないといじめられるから・・・というのは、自分の心の目ではなく、他人からどう見られているかということだけで判断していることだと思うからです。

 常に、自分の心の目・・・客観的に見るもう一人の自分の目で見ていたら、誰も見ていなくても、誰から褒められなくても、誰が見ていても、褒められても、同じことをするはずだからです。

 客観的に自分を見られるようになれば、出来ない自分を責めたり、人を責めたり、評価してくれない人を否定したりせず、起きている現象をありのまま受け取ることで不安や不満はかなり減ると思います。

 間違ったっていいし、人から褒められなくてもいい。成功したっていいし、褒められたっていい。大切なのはそんなことじゃなくて、今自分がどう感じているか、どう向き合っているかということ。結果は状況次第だし、その時々で違ってくるものなのだから。

 ヨガには行為に集中し、結果を求めないという教えがあります。かつては、そんなの聖人君子以外無理だろうと思っていました。それは「いい結果を受けとらない」ということだと誤解していたからです。この教えの意味は結果を否定しろということではなくて、結果がどうであれ、すべて受け入れて、そのことに囚われないという意味で、いい時に有頂天にならず、悪いときも自分の失敗を認めて、ありのままを受け入れ、今やるべきことに集中しなさい、という教えなのだと今は理解しています。

 人と関わって生きている限り、人の目は気になります。そのこと自体は自然なことなので、そう思っちゃいけないという風に感情を押さえ込まず、なぜ自分は気になるのか考えてみると、大抵自分がよく思われたいからとか、自分のやっていることが正しいかどうか気になるからとか、自分が一番でありたいから、あの人に負けたくないとか・・・答えが出てもいずれは変化してしまうことにばかりに囚われているということに気付くでしょう。

 時々、自分が正しいのかどうか、不安になることがあります。そんな時、大抵は人からどう思われるか、どう評価されているかと気になっている時のような気がします。自分のやるべきことに集中していないという証拠なのだと思います。

 今年は今まで以上に人の目を気にせず、集中する年にしたいです。 合掌